| アンゴラ内戦 |
旧ポルトガル領であるアンゴラは1975年に独立した。しかしソ連の支持するアンゴラ解放人民運動(MPLA)とアメリカ、、南アフリカが支援するアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)が全面的な内戦に突入。この代理戦争は第二次世界大戦後独立を宣言していくアフリカの各国で行われアフリカの国際社会への参加を遅らせていく事になる。
MPLAはソ連、キューバの他南西アフリカ人民機構(SWAPO)の支援を受け対するUNITAはアメリカ、中国、ザンビア、南アフリカなどの国家が軍事援助、支援を行った。これらはアンゴラの豊富な資源を狙った大国の主導権争いが代理戦争へと発展したものでアフリカの主要な紛争原因の一つとして特徴づけられる。1975年西側の支援を受けるUNITAは内戦に一応の勝利をしアンゴラ人民共和国を宣言するが米ソの支援は続き戦争は傭兵部隊などを投入して継続された。1991年にアンゴラ包括和平協定が締結されると翌年には新憲法が制定され旧MPLA主導アンゴラ民主共和国が誕生した。しかし92年の大統領選挙で不正があったとしてUNITAが選挙結果の受諾を拒否。その後も度重なる交渉が行われるも内戦は継続された。93年から94年の1年間には「史上最悪の戦争」と呼ばれる激戦が繰り広げられ国内の死者数は150万人、1日換算で1000人の死者を生み出した。 |
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| 1998年のUNITA勢力図。アンゴラ国土の6割以上を制圧しており当初MPLAと戦闘を繰り広げていた内戦の相手を新政府に変えて続けた。しかし2002年にUNITA指導者の戦死により急速に勢力を失っていく。 |
1997年3月にはドスサントス大統領の下でUNITAの一部も参加した国民統一政府が誕生するも武装解除と取り込みに失敗し1998年、UNTIAの武装組織の軍隊への再編、武装解除問題を元に再び戦闘が起こり、UNTIAが国土の70%を制圧。PKOのアンゴラ監視団の輸送機が2機撃墜されるという事態にまで陥った。また国連職員誘拐やPKO部隊への攻撃など国連部隊へ対しての憎悪も深まっていく。
この状況の中アンゴラ停戦監視団は1999年2月に撤退を開始。内戦は再び激化し25万人が難民となった。これら内戦の背景にはUNTIAとMLPAの利権争いも関わっている。アンゴラの石油資源はアフリカ最大と言われその埋蔵量は現在アフリカ第一位のナイジェリアを凌ぐ。また世界第五位のダイヤモンド鉱山を持つ事でも有名。キューバや中国、ロシアが石油資源を持つ政府側支援を継続。対するUNITAには天然のダイヤモンド鉱山があり双方の資金力が尽きることがないため大量の武器が流入し内戦終結が見えない。国際社会が石油やダイヤを購入する事でそれらの資金が武器購入、兵士、傭兵の雇用に使われてしまうと言う問題も指摘されている。
終わりの見えない内戦の状況に変化が見えたのは2002年。UNITA議長のサビンビ氏が戦死し糾合力を失ったUNTIAが弱体化し、遂に停戦合意文書に調印が成された。これにより国家再建と和平への兆しが見えてきている。 |