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| エチオピア・エルトリア紛争 |
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| イイグラ三角地帯の領有権をめぐるエチオピアとエルトリア間の領土紛争。エチオピアは世界の飢餓地帯として知られ多くの飢餓犠牲者を出している。アムハラ族、オモロ族、ソマリ族ティグレ族などで構成されエチオピア正教を国境とする。第二次世界大戦前後にイタリアに占領された以外は独立を保っておりアフリカで唯一植民地支配を受けていない国家である。エチオピアとエルトリアは1世紀頃にアクムスという王国を形成しており1952年両国は連邦国家を形成。しかし1962年にエチオピアに強制併合された。この結果に不満を持ち独立を目指すエルトリアはエルトリア解放戦線(ELF)を中心に武装闘争を開始。1970年にはELFから分離したエルトリア人民解放戦線(EPLF)が闘争の中心的な役割を担い独立戦争を続ける。エチオピアではこの時期社会主義政権が全土を掌握しておりメンギスツ軍事独裁政権が恐怖政治を敷いていた。これに対してエチオピア国内でもエチオピア人民革命主戦線(EPRDF)が反政府武装闘争を展開。両者は当時の政権を打倒するために共同戦線を張りメンギスツ政権は1991年に崩壊。1993年にはエルトリアで分離独立を決める住民投票が実施され独立を達成した。この一連の30年間に及ぶ武装闘争で20万人以上が犠牲になり80万人が難民として流出した。エルトリア独立後は両国の関係は友好的になると考えられていたが1998年帰属が不明であった領土「イイグラ三角地帯」に対して両国の国境紛争が勃発。エルトリア軍は越境しエチオピアのバドメ地区を占領。戦闘は東部にまで広がり6月には互いの首都への空爆戦に発展した。一般市民を含む無差別攻撃に多くの犠牲が出たため両国間で空爆は停止されたが1999年には再び戦闘が再開。一時はアフリカ統一機構(OAU)の仲介で停戦が発効されるも2000年2月には再び交戦。5月には停戦協定と係争地の非武装化を拒否したエルトリアに対してエチオピア軍が大攻勢をかけエルトリアは停戦を受け入れることになった。しかし今度はエチオピア軍が停戦を拒否した。この事態に国連、EU、日本政府などが両政府に働きかけエルトリア軍は占領地からの撤退を開始。6月18日には停戦が実現した。 |
| 国名 |
エチオピア |
エルトリア |
| 首都 |
アディスアベバ |
アスマラ |
| 人口 |
6280万人 |
390万人 |
| 言語 |
アムハラ語 |
アラビア語
ティグレ語 |
| 宗教 |
エチオピア正教(キリスト教コプト派)
イスラム教 |
イスラム教
キリスト教コプト派 |
| 主要民族 |
アムハラ族、オモロ族、ソマリ族等 |
ティグレ族、アファル族 |
| 通貨 |
ブル |
ナクファ |
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