ソマリア内戦
アフリカの角と呼ばれる海岸地帯に位置するソマリアでクーデターが発生したのは1969年。以来社会主義国家を宣言した。
ソマリアは19世紀にイギリス保護領ソマリランド、フランス領ソマリランド、イタリア領ソマリアとして分割統治され1960年代に現在のソマリアと同等の国土を持つ国家になった。ソマリアはアフリカの国家としては希な単一民族国家として誕生した。しかし氏族という独自の社会形態を持つソマリア民族は元来政府を持たず氏族に属する小氏族、支族がそれぞれ権力を持ち生活を維持してきた。
彼ら支族の主導権争いは長く続いており、その権力、武力の大きさは即座に国連援助物資などの確保権に直結されている。

大ソマリ主義
ソマリア支族は19世紀後半までに現在のソマリア国境よりも広い領土を持っていた。現在のジプチやエチオピア、ケニアにまで分布していた。20世紀にイギリス、フランスなどが彼ら氏族領地を分断して保護領としたために1960年代にソマリア共和国が誕生するとこれら国外の氏族の領土を糾合しソマリ族の国家「ソマリランド」を建設しようという「大ソマリ主義」が台頭していく。1977年には隣国エチオピアの革命に乗じてオガデン地方に侵攻するオガデン紛争などを引き起こし周辺国との軋轢を生む。

単一国家思想を抱いていたソマリアは1969年にシルマルケ大統領が暗殺され軍事クーデターが勃発するとバーレ政権が誕生し現在のソマリア民主共和国が誕生する。バーレ政権は社会主義革命を実行しソ連の後押しを得て外国企業を国有化するなど強権を発動した。更に自らの属する氏族以外を弾圧した。このため他の氏族の反発を招き1980年代に入ると地方を中心に反政府闘争が開始され1991年にはハウィエ族が率いる反政府勢力のUSC(統一ソマリア会議)が首都モガディシオを制圧。バーレ大統領を追放する。

その後モハメド暫定大統領を指名して政府運営を開始しようとするが、最大の軍事力を持っているアイディード将軍派がソマリア国民同盟(SNA)を結成。
この時北部のイサック族が主導するソマリア国民運動(SMN)は両者の争いとは別にソマリランド分離独立を宣言。南北が分断される形になり内戦が激化。国民は飢餓状態に陥り人道支援の必要性が叫ばれた。

1992年12月、国連は内戦と飢餓に苦しむソマリアでの人道支援を目的として国連ソマリア活動(UNOSOM)を開始。米海兵隊を中心とした多国籍軍を派遣し「希望回復作戦(OPERATION RESTORE HOPE)」を開始。また、国連の仲介で和平会議を開催する。しかし実権を握るアイディード派は強硬な姿勢を維持し武装解除を拒否。援助物資の略奪を開始した。

1993年には国連憲章の定める武力行使を認めた平和執行部隊のUNOSOM IIが展開されるが4月にアメリカ海兵隊が撤退するとアイディード将軍は国連軍に対して宣戦を布告。6月にはパキスタン軍の兵士24人がアイディード派の民兵に虐殺され以降モガディシオを中心にアメリカ軍j、国連軍を狙った攻撃が激化していく。
ブラックシーの戦い
1993年8月末、度重なる国連軍の被害からアメリカ軍特殊任務部隊タスクフォースレンジャーがアディード将軍の逮捕及び秩序回復を行うために派遣される。デルタ、レンジャー、SEAL、160SOARなどで構成された特務部隊は当初3週間で任務を終える予定であったが、作戦は難航していた。
1993年10月3日。アイディード将軍の潜伏地点を突き止めた特務部隊「レンジャー」はモガディシオに奇襲作戦を開始。1時間で終了するはずの任務であったが予想以上のソマリア民兵の反撃に遭い、特殊部隊の運用するブラックホークヘリコプターが撃墜。大規模な市街戦に発展する惨事となり多くの犠牲を出し作戦は失敗に終わった。この結果アメリカ軍及び国連軍は1995年3月にソマリアから完全撤退。その後アイディード将軍は大統領就任を宣言するがその翌年に暗殺される。この展開によりソマリアの情勢は好転するかに見えたがアイディード将軍の子息であるフセイン・アイディードがアイディード派の後継者となった事で事態は混沌としていく。1997年には無政府状態の中停戦が発効されるが現在も戦闘は止んでおらず現在でも実行支配する氏族もでてきていない。この内戦でソマリアでは50万人が餓死し周辺諸国へ脱した難民は100万人に上っている。

タスクフォースレンジャーの作戦経過

1993年10月3日
2:49PM 逮捕の目標となるディギル族指導者をモガディシオのホールワディックストリートのビルで発見
3:32 ヘリコプター19機(ブラックホーク、リトルバード)、車両12台、兵士160名(デルタ、レンジャー、SEAL、160SOAR)で構成されたタスクフォースレンジャーが行動を開始。
3:42 航空機部隊(デルタ、レンジャー)が目標周辺に降下開始。その際にレンジャー隊員ブラックバーンがロープ降下中に落下し負傷。
4:00 降下地点周辺にソマリ族民兵が殺到。
4:02 デルタ、目標建造物に侵入し21を拘束
4:15 民兵との市街戦闘開始。車両部隊への逮捕者収容と撤退に遅れが出る
4:20 ブラックホークスーパー61がRPGによる攻撃で市街地に墜落
4:22 墜落地点に民兵が殺到。捕虜を乗せた車両部隊がデルタ、レンジャーと共に予定を変更し墜落地点へ向かう。
同時に予備機として空中に待機していたブラックホークスーパー64がスーパー61の滞空地点に展開。
4:28 捜索・救助チームが支援のために降下
4:35 墜落地点へ向かう車両部隊が道を間違え混乱。民兵からの狙撃を受け死傷者を出す。
4:40 交代任務で滞空していたスーパー64が攻撃を受け墜落。民兵が殺到。
4:42 ヘリボーンスナイパーとして配置されていたデルタ隊員ランディ・シュガート一等軍曹とゲイリー・ゴードン曹長がスーパー64の墜落地点に降下救助を志願。
4:54 車両部隊、民兵の攻撃により半数を死傷。スーパー61の墜落地点への移動を断念し基地へ引き返す。
5:03 スーパー64墜落地点に向かう別働隊の車両部隊が攻撃を受け立ち往生。
5:34 徒歩でスーパー61墜落地点に向かったデルタ、レンジャー部隊墜落地点に到達。
5:40 ソマリ族がスーパー64墜落地点に殺到。降下したデルタ隊員シュガート、ゴードン及びスーパー64の生存者を殺害。スーパー64の乗員マイク・デュラントは負傷し捕虜になる。
5:45 デルタ、レンジャーの混成部隊99名がスーパー61墜落地点で民兵と戦闘を展開。
10:00 第10山岳師団の2中隊、基地に残存していたレンジャー部隊、パキスタン軍戦車部隊、マレーシア軍装甲車部隊が大規模な救出部隊を組織。
11:23PM 救出部隊モガディシオ市街に出発
10月4日
1:55AM 救援部隊スーパー61墜落地点のレンジャー部隊と合流
3:00 スーパー61乗員の遺体回収はじまる
5:30 遺体回収が完了し車両部隊の撤退開始される
6:30 全部隊国連管理下のスポーツスタジアム跡に到着。
この作戦でアメリカ軍の死者は19名。負傷者は73名。捕虜になったマイク・デュラントは11日後に赤十字を通し釈放。2週間後にはクリントン大統領はタスクフォースレンジャーをソマリアから撤退させ作戦指揮官のガリソン少将は責任を負い退役。
スーパー64乗員を救助に行き戦死したデルタ隊員のゲイリーゴードン、ランディ・シュガート隊員には議会名誉勲章が授与された。ソマリ族民兵は1000名以上が戦死しそれ以上の負傷者が出たとされている。
参加部隊と装備
ユニット 備考
アダム64(コールサイン) ウィリアム・F・ガリソン少将(統合特殊作戦コマンド司令官)
ユニフォーム64 ダニー・マクナイト中佐(車両部隊指揮官)
アルファ51 トム・マシューズ中佐(航空部隊任務指揮官)
ロメオ64 ゲイリー・ハレル中佐(地上部隊任務指揮官)
ジュリエット64 マイク・スティール大尉(レンジャー地上指揮官)
キロ64 スコット・ミラー大尉(デルタ地上部隊指揮官)
対テロ特殊部隊デルタ
C中隊 18名
M727ライフル及びM203グレネードランチャーで武装。
75レンジャー連隊 82名 M16ライフル及びM60マシンガン、M249支援火器等で武装。衛生兵を含む。車両部隊30名、ヘリコプター部隊52名。
160SOAR(ヘリ搭乗員) 18名
SEAL 2名 通信及び車両ドライバー
空軍特殊部隊STS 4名 パラジャンパー 2名、CCT 2名
AH-6リトルバード
攻撃ヘリコプター 4機
MH-6リトルバード
輸送ヘルコプター 4機
デルタ隊員輸送用
MH-60ブラックホーク
ヘリコプター 8機
レンジャー部隊輸送用x4(チョーク1〜4)
デルタ輸送用x2
戦闘救難x1、戦闘管制x1
OH-58カイオワ
観測ヘリコプター 3機
P-3オライオン哨戒機 1機
HMMWV 装甲オプション装備モデル。車両班。
輸送用トラック 車両部隊。拘束者輸送用。
急速対応部隊(QRF) 第10山岳師団