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スーダン内戦
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スーダンは1898年にイギリス政府の傀儡であったエジプトが制圧しそれ以降エジプト、イギリス両政府が共同で統治してきた。主な産業は綿花、落花生などで一部油田も持つ。1956年には独立するが北部に住むイスラム教勢力と南部のキリスト教勢力が衝突を繰り返している。スーダンはアフリカ大陸最大の面積を持ちアラブ人とアフリカ系黒人が混在する国家であり北部にはイスラム教を信奉するアラブ人、南部にはキリスト教を信奉する黒人民族で構成される。人口では7割以上がアラブ人でありそのため政府の方針は常にアラブ人よりの政策をとってきた。このためイスラム化政策に危機感を募らせている南部キリスト教信者や土着宗教信者が反感を募らせていく。1971年に大統領に就任したヌメイリ大統領はイスラム法を導入しアラブ民主主義に基づいた国造りを開始。キリスト教徒ディンガ族主体の反政府組織スーダン人民解放軍(SPLA)がゲリラ戦を開始する。これに対して1989年マハディ首相率いる政府はイスラム法を凍結しSPLAとの融和政策を取ろうとするが軍部と原理主義団体国家イスラム戦線(NIF)が同調しクーデターを起こす。クーデター政権のバシル准将はイスラム教徒の保護を掲げアラブ人イスラム国家の宣言を行う。SPLAはこの宣言に反発し南部で軍事衝突が多発。1992年6月にはナイジェリアの仲介で和平交渉が行われるもSPLAの和平派と強硬派が分裂し戦闘は継続された。1996年にはSPLAとスーダン反政府勢力の民族民主戦線が合流し大攻勢をしかける。南部キリスト教徒を支援するウガンダの後押しもあり内戦は東部にも拡大。1998年ごろから和平交渉が行われるものの停戦には至らなかった。一連の内戦での犠牲者は200万人以上と推定され現在も150万人以上が難民として周辺国に散在している。
アルカイーダの影
スーダンは2001年に起こった同時多発テロの首謀者ウサマビンラディンを1991年から1996年の間かくまい、ラディン自身はこの間にスーダンで建設業、農業などを事業展開し財政基盤を作りアルカイーダの拠点とした。1995年にはエチオピアで起こったエジプトのムバラク大統領暗殺未遂事件に関与したとして国際社会から非難された。国連はこの後経済制裁を敢行していく。アメリカは2001年の同時多発テロとアルカイーダ、ケニア・タンザニアの米大使館爆破などの関与によりスーダンの首都ハルツーム郊外の工場施設などにトマホークミサイルによる攻撃を敢行。テロ支援国家として位置づけている。
また、スーダンは1990年代にパレスチナのイスラム聖戦、ハマス、エジプトのイスラム聖戦、アルジェリアの武装イスラム集団なのどテロリストが本拠地として活動しており国際的イスラム過激派の巣窟となっていた。これらの集団はハッサアン・トラビ師である。トラビ師はイスラム原理主義を推進する人物でスーダンのクーデターなどで暗躍している。 |
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