ROK:Republic Of Korea/韓国軍
ROK(Republic of Korea)と呼ばれた韓国軍はアメリカ軍に次ぐ規模の西側派遣外国軍であった。アジア圏における共産主義の拡大に危機感を募らせていた韓国政府は1965年夏、米軍の軍事援助のもとベトナムへの派兵を決定。兵力は延べ37万名、最盛期には5万の兵力を南ベトナムに展開した。具体的部隊としては韓国主都師団猛虎、白馬の2個師団、韓国海兵隊青龍1個師団の3個師団でいずれも韓国軍最強の部隊である。韓国軍は早い時期よりベトナム戦争の長期化を睨んでおり、米軍基地のような簡易建造物による陣地構築ではなく鉄筋コンクリートの施設を建造した。また戦術も米軍とは違い空軍や機甲部隊には頼らず歩兵を中心とした接近戦闘を主体とした。砲兵の数も少なくジャングルではもっぱら敵であるNLF、NVAと同じ戦術を駆使した。さらに韓国軍では敵を捕捉しないかぎり反撃は控えるという手堅い戦闘を見せ、NLFにとって最も恐ろしい敵となった。アメリカ軍の撤退は1968年秋から始まるが、韓国軍はこの後もこの地に残った。韓国軍は朝鮮戦争を体験しており民族間に強い国防意識を根付かせていた。朝鮮、ベトナムと2度に渡る共産主義勢力との戦いは韓国軍を勇猛果敢な世界でも最高峰の軍隊に育て上げた。韓国軍がベトナムを去るのは1973年、実に7年間の軍事行動をし戦死者は4407名、負傷者は2万5千名であった。韓国軍の戦争長期化の考えは当たり初期の施設建造や人材面で米軍よりも有利な条件がいくつも存在した。鉄筋コンクリートの施設は解放戦線の砲撃に十分に耐えたため解放戦線も容易に突入はできなかった。また多くの通訳を擁し現地人との交流を図った。軍規は極めて厳正で戦闘時以外には村に対する放火をさせないなど徹底したプロ意識も見せた。
主都師団/猛虎(メンホ)
師団司令部
第1、26歩兵連隊
騎兵連隊
空輸特戦団
工兵
砲兵
輸送
衛生
他支援部隊
第9歩兵師団/白馬(ペクマ)
師団司令部
第28、29、30歩兵連隊
工兵
砲兵
輸送
衛生
他支援部隊
第2海兵旅団/青龍(チョヨン)
第1、2、3、5大隊
旅団司令部
工兵
砲兵
輸送
衛生

韓国軍の個人装備

ベトナム戦争中の韓国陸軍の装備は、兵、下士官がM1ガーランド、将校はM2カービン、コルトガバメント、分隊支援火器にはブローニングM1917(30口径)機関銃で第二次世界大戦の米軍装備を供与されていた。装備品もそれに伴いM1923カートリッジベルト、M1944/48サスペンダー、M1944/45コンバットパック、M1943エントレンチングツール、M7バヨネットなどが使用された。1967年にはMACVよりM16ライフルの支給が開始され1968年にはほぼ全部隊が装備するようになった。分隊支援火器もM60に交換され大幅に近代化されるに至った。また装備もM16の配備に伴いM1956装備が支給された。1970年からは韓国軍は自力で装備生産を開始したがベトナムで使用されたかは定かではない。被服は当時国内産業の主力であった繊維産業を活かし米軍HBTの改良品を生産、支給していた。徽章類は部隊章を左袖、ネームテープを右胸、左胸には所属軍(陸軍、海軍)など概ね米軍と同じであるが階級章はポケットフラップに装備した。将校は右襟に階級章、左襟には兵科章がつく。ヘルメットはM1ヘルメットでヘルメット正面に階級がかかれる。ブーツはブラックレザーブーツが使用された。1967年からは薄手のコンバットユニフォームが支給されたがこれには脚部に大型のカーゴポケットが装備されるなど米軍のトロピカルコンバットユニフォームに似せたものになった。更に海兵隊ではカモフラージュスーツの支給も行われた。