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■ベトナム戦争人物名鑑 ベトナム戦争には多くの兵士、政治家などが関わってるが、ここではそれらの人物を紹介していく。 ア行 アル・クレマー将軍 ベトナム戦争中特殊部隊を指揮した現アメリカ軍参謀長で陸軍将軍。ハメル准将の親友であったが、アルカトラズ占拠事件では米国側の指揮を執りアルカトラズに航空攻撃を指示した。 Ellsworth Bunker/E.バンカー大使 67-73年の間駐ベトナム・アメリカ大使であったがバンカーは後任のマーチン大使共々共産勢力の能力を過小評価し続けこれがベトナム戦争の大きなマイナス点であったと言える。しかしベトナム戦争撤退交渉では南ベトナムとの交渉に尽力しある程度評価されている。 W.A ハリマン特使 William Averell Harriman。第二次世界大戦から活躍していたアメリカ人外交官。ベトナム戦争中は国防省の極東補佐官を務めインドシナ、ラオス紛争に関する停戦条約会議の米国側代表を務めパリ会談でも特務大使を務めた。 W.C.ウエストモーランド将軍 William Chids Westmoreland。第二次大戦、朝鮮戦争と華麗な戦歴を誇るアメリカの将軍で64-68年の南ベトナム駐留司令官であった。解放軍の戦力については初期こそ過小評価をしたがその後評価を改め大戦力を投入している。69年以降は陸軍参謀長に就任したが体調不良を理由に72年には引退した。彼はヘリコプターを使用したサーチアンドデストロイ作戦を考案し多大な戦果をあげた。 一ノ瀬泰造 日本人カメラマンで、ベトナム戦争、カンボジアで活動した戦場カメラマン。アンコールワットを撮影するためにカンボジアに移ったがその後消息不明。80年代に入り死亡が確認された。 カ行 キルゴア大佐 サーフィンとナパームの香りを愛した第1騎兵師団の大佐。ヘリコプターに拡声器とサーフボードを取り付けベトナムを縦横無尽に駆けめぐった。 グエン・カオ・キ将軍 南ベトナム上流階級出身で政府軍の上級士官。33歳で空軍司令官になる。熱烈な反響主義者で若手将校からの支持は厚かった。アメリカは彼の軍事、政治的手腕に期待しており65年には首相、67-72年には副大統領になった。75年4月サイゴン陥落前に脱出しアメリカに移住。カオ・キは勇敢な軍人であったが、華麗な生活を好み民衆層からの支持は得られなかった。 グエン・バン・チュー大統領 ゴ・ジン・ジェム政権が倒れた後アメリカの後押しで首脳の一人となる。67/71年の選挙で大統領に選ばれたが実質的には南ベトナム最後の大統領であった。彼の在任中にアメリカは実質的な撤退計画をまとめチューの同意無しに北ベトナムとの和平交渉を開始した。チューは温厚な性格で南ベトナムの複雑な階層を上手くまとめ上げた8年間の長期政権を樹立した。1975年春にチャン・バン・フォンに大統領職をゆずり台湾に脱出、移住した。引退先にアメリカを選ばず台湾に移住した点でも彼のアメリカに対する疑心感が伺える。 グエン・フー・トー ジェム政権下で民主主義に反対し投獄されその後NLFに加わり、リーダーの一人になる。ベトナム戦争終結後に統一ベトナムの副大統領となったが早期に引退。NLFは解体後北ベトナム政府に疎んじられ他の主要人物は政治関係には縁がなかった。彼以外にはNLF出身の閣僚は存在しない。 クレイジー・モンキー 特殊部隊Aチームの隊員であらゆる乗り物に精通。動物との会話も可能だが、戦後は精神病院に入院し療養していたが、ハンニバル以下数名に拉致され消息不明。 G.A.マーチン大使 Graham Anderson Martin。駐タイ大使などを歴任後73-75年アメリカ最後の駐南ベトナム大使となった。彼は常に南ベトナムに対するアメリカの道義的主義を自国民に訴え続けた。しかし75年の南ベトナム消滅の際にはARVNの戦力を過大評価し南ベトナム首脳、関係者の脱出が混乱し多くの犠牲者、脱出不能者をだしてしまった。 コング 元特殊部隊Aチームの隊員で格闘の天才。金のネックレスがトレードマークでベトナム戦争中はハンニバル大佐の指揮下に入り特殊作戦を遂行した。作戦中に飛行機が墜落し以後飛行機恐怖症になった。現在ハンニバルと共に逃亡中。 サ行 S.プーマ首相 ラオスの民主主義者で62-75年のラオス首相。首相に就任以来ベトナム問題に直面し対策に苦慮した結果米軍を受け入れる。 C.W.エイブラムス将軍 エイブラムス将軍(Creigton Williams Abrams)は67-72年のベトナム駐留アメリカ軍総司令官でその後陸軍参謀長に就任。エイブラムスがベトナムに着任してまもなくベトナム戦争が開始され、この時からアメリカ軍の増強を訴えたが議会はこれを却下し逆に撤退計画を進めた。彼はベトナム在任中に「報道に自由は時に味方の軍隊を不利に導く」と発言しマスコミとの論争に発展した。彼のこの意見は湾岸戦争の際には実際に反映されることになる。完璧な報道管制は見事多国籍軍に勝利を与えることとなりアメリカ軍はベトナム戦争での反省を見事に活かした。また同戦争で活躍したアメリカ軍主力戦車M1A1エイブラムスの名前は同人物からとられた。 沢田教一 1966年ベトナム戦争の写真で日本人初のピューリッツァ賞を受賞。その後も多くの賞を受賞するが1970年10月28日カンボジアの首都プノンペン近郊の国道二号線において射殺体で発見される。 G.R.フォード大統領 1974年に辞任したニクソン大統領の後を継ぎアメリカ大統領に就任、ベトナム戦争についてはニクソン路線を踏襲した。1975年のマヤゲス号事件では強攻策をとったが、これをカーターに攻撃され次の大統領選挙では敗れた。これといった決断をしないまま南ベトナムが消えゆく姿を傍観した。 ジョン・テレンス・ケリー アメリカ海軍特殊部隊SEALに在籍した上級兵曹長。ベトナムのメコンデルタ地帯で多くの功績を挙げた後帰国。その後地元麻薬ディーラーとの抗争に巻き込まれ数名を殺害。地元新聞を賑わせたが海上に逃亡し所有する小型艇と共に海に沈み行方不明。 ジョン・パトリック・メイスン イギリス諜報部員でケネディ暗殺やロズウェル事件、ウォ−ターゲート、ペンタゴンペーパーなどこの時代に起きたすべての事柄をまとめたフーバーファイルをアメリカから持ち出そうとした人物。凄腕の諜報部員であったがファイルの入ったマイクロチップをどこかに隠しカナダ国境で逮捕された。 ジョン・ランボー アメリカ陸軍特殊部隊グリーンベレーのAチームとして作戦に参加。シルバースターを獲得したが、彼以外のAチームメンバーはその後戦死。米国に帰国すると南部の街で警察官とトラブルを起こし、大規模な戦闘に発展。州兵まで動員する大惨事となった。一時逮捕され収監されたがその後の消息は不明。タイ、カンボジア付近での目撃情報もあるが未確認。 シンクレア大統領補佐官 ベトナム戦争当時はおむつを履いていたが湾岸戦争後に大統領補佐官に就任。ベトナム戦争中にアメリカは中国に兵を送っていないと思っている。 ズォン・バン・ミン大統領 南ベトナム軍の中枢にあってジェム政権打倒のクーデターでは名前は挙がらなかったが明らかに首謀者の一人であった。その後軍事政権の閣僚や駐タイ大使を務め北ベトナムの大攻勢が始まる1975年大統領に選ばれた。しかし既にサイゴン近郊に北ベトナム軍が迫っており、就任後わずか44時間で南ベトナムは降伏する運命であった。降伏調印は彼が行ったがその後の消息は明らかではない。 スミス・ハンニバル大佐 グリーンベレーAチームの大佐でトラウトマン大佐とは知り合い。ベトナム戦争中部下を指揮し活躍するが、作戦中に金塊を強奪し追われる身に。現在米国国内で仲間数名と共に逃亡生活を送っている。 タ行 Daniel Ellsberg/D.エルスバーグ国防省補佐官 64-67年にかけて国防省補佐官として南ベトナムに駐在。67年には大使の特別補佐官として活躍した。エルスバーグの名を世界的に知らしめたのは彼が暴露した国防省の機密書類いわゆるペンタゴンペーパーズであった。南ベトナムに関する軍事政策を記したこの文書は74年に発表されたが彼自身は国家公務員法違反で有罪となった。ペンタゴンペーパーズはアジア地区における作戦なども明記されておりその一部は明らかに国際法違反であった。彼は現在でもアメリカ合衆国の外交姿勢を批判し続けている。 チャーリー・ベックウィズ アメリカ陸軍特殊部隊大佐でベトナム戦争中はプロジェクトデルタなどのゲリラ戦を考案展開し多くの戦果をあげている。戦争終了後低劣度紛争に対抗するための対テロ部隊デルタフォースの創設に尽力。イラン大使館人質救出作戦などに参加したが作戦は失敗。その後心臓発作でわずか60数年の生涯を終える。英国特殊空挺部隊SAS訓練課程ををアメリカ人としては初めて修了した経歴を持つ。 チュオン・ニュ・タン パリ留学中にホー・チ・ミンと知り合い共産党に入党。その後解放戦線中央委員革命政府法務大臣となる。ベトナム統一後南地区の完全支配をもくろむ北ベトナム政府と対立。ボートピープルとして国外へ脱出しパリに移住。ベトナム戦時中の手記をまとめいくつか著書を出している。 デューク東郷 ベトナム戦争中に活躍した凄腕のスナイパーでその後プロの殺し屋として闇の世界に君臨。世界中から追われ、世界中から依頼が来る恐ろしい人物で愛銃はM16。コードネームはゴルゴ13(サーティーン) トラウトマン大佐 ベトナム戦争中はグリーンベレーAチームの指揮官で多くの戦場で活躍した。ジョン・ランボーの上官であったが、彼が退役した後も軍に残った。戦後アフガニスタンで活動していたとの報告もあるが詳細は不明。ベトナム戦争中に捕虜になった兵士達の捜索にも尽力している。 ナ行 N.シアヌーク殿下 Nordom Sihanouk。41-55年のカンボジア国王で後に首相となる。親米派ロン・ノルに追われて北京に亡命したが、中国政府の支援で一時帰国。しかしベトナムの共産主義者と対立し再び中国へ。シアヌークはカンボジア国民に最も信頼された国王であったが左右両派の確執を解消できなかった。その結果ポルポトの大虐殺をまねき悲劇を生んだ。 ハ行 バオ・ダイ皇帝 ベトナム王朝最後の皇帝であり1946年からは実権を失いホー・チ・ミンの保護下にあった。その後フランス、米国の庇護の元に暮らし特にフランスは彼を南ベトナムコーシチナ共和国の元首に据えようと画策した。しかしこれもうまくいかず50年代終わりにはフランスに移住し政治世界から姿を消した。 ハンサム(フェイスマン) 特殊部隊Aチームの隊員でベトナムに従軍。ハンニバル大佐指揮の元活躍する。物資調達のスペシャリストで、ブラジャーからパンティーまで、もといブラジャーからミサイルまでなんでも入手可能。変装の達人でもある。 ファン・バン・ドン首相 ファン・バン・ドンは1941年ベトミン軍に加わり解放運動で活躍。55-76年に北ベトナム首相となる。しかしその後経済悪化を理由に引責辞任、その後フランス人記者に「平時に国家を運営していくことは戦争を続けていく以上に難しい」と述べた。 ブラドック大佐 ベトナム戦争中は陸軍特殊部隊で活躍しその後退役。アメリカで暮らすが人質救出作戦を志願し戦後ベトナムへ戻る。政府はベトナムとの友好条約締結中でマスコミに捕虜の存在が露見するのを恐れ抹殺を計るが大佐はこの妨害を乗り越え見事に捕虜を発見、救出した。人は彼を地獄のヒーローと呼んだ。 フランク・ハメル准将 ベトナム戦争中はアメリカ海兵隊偵察部隊フォースリーコンの指揮官を務め秘密作戦に従事、タイ、ラオス、カンボジア、中国などで戦闘を行った英雄。戦後も軍に残り准将にまで上り詰めるが湾岸戦争中に部下の偵察隊がイラク領内で全滅。軍上層部のやり方に疑問を感じ反乱を起こす。アルカトラズ刑務所に人質と共に立てこもったがSEALチームの投入でこれを鎮圧。ハメル准将は死亡している。 ホー・チ・ミン大統領/Ho Chi Minh 通称ホーおじさん。第二次世界大戦前の1930年フランス留学から戻りインドシナに初めての共産党を設立。69年に死去するまで北ベトナムならびにこの地方の実質的、精神的指導者となった。小柄な体躯と温厚な性格そして強靱な意志を持った歴史的人物で1941年にベトミンの代表、1954年には北ベトナム大統領に就任した。生涯大統領に留まったが質素を重んじ民衆からは神と慕われた。 ボー・グェン・ザップ将軍 北ベトナムにおける最も著名な軍人で第二次世界大戦後すぐにベトミンの指揮官となり1954年のディエン・ビェン・フーの戦いでフランス軍を壊滅に追い込んだ。その後北ベトナムを指揮し全戦を通じて北ベトナムを勝利に導いた。彼の戦略は毛沢東の人民戦争理論に基づいた物であった。76年には閣僚となるがその後引退。彼の軍事能力は西側でも高く評価されている。 ポル・ポト 1940年にホー・チ・ミンのインドシナ共産党に入党、フランスに反抗する。1963年からカンボジアを拠点として活動。民主カンプチアの首相となるがベトナムとの関係が悪化し戦争状態になる。ベトナムの背後にソ連の影を見る中国はポル・ポトを支援。原始共産制(科学や工業が発展することは貧富の拡大につながり共産主義の理想を崩すと考えた理論)を重視するポル・ポトはカンボジアの知識階級の抹殺を計り1970年代までに100万の人民を虐殺した。その後ポルポトは実権を失いジャングルでゲリラ活動を展開するが、90年代にはいり抵抗運動に疲れ政府に投降した。 マ行 McGeorge Bundy/M.バンディー大統領補佐官 ケネディ、ジョンソン両大統領の下で国家安全保障局の特別補佐官であった。主に1966年までのベトナム政策に関与したが、バンディーはベトナム外交政策には楽観的であったがその後テト攻勢でこの楽観論は崩れ去り責任を問われる形で中央から遠ざかった。 ヤ行 ラ行 R.M.ニクソン大統領 Richard Milhous Nixon。D.アイゼンハワー大統領の下で副大統領を務める。後に大統領当選。68年にカンボジア秘密爆撃を指示。68年から経済の停滞によりアメリカ軍の撤退を主張する。その後アメリカ最大のスキャンダルとなったウォーターゲート事件により74年8月アメリカ大統領としては初の病気、死亡以外による大統領辞任者となった。 ロン・ノル将軍 カンボジアにおける親米派リーダー。クメール国王軍を率いて北ベトナムに支援された共産勢力に対抗した。後にカンボジアに作られたクメール共和国の首相兼国防大臣となる。カンボジアではその後共産主義同士の内戦が始まりクメール共和国は崩壊。ロン・ノルはその後アメリカを頼りハワイに脱出する。 ワヲン行 |
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