| ■ベトナム戦争に参加した特殊部隊 |
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| U.S.ARMY |
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GREEN BEREETS /SFG:Special Forses Group
イギリス軍コマンド部隊を範にした特殊部隊で正式名称はSFG:Special
Forces Groupである。ケネディ政権下で確立されベトナム戦争には第1、第5、第6SFGが投入された。その中でも最も大きな規模で主軸を務めたのが第5SFGである。SFGの特徴は12〜17名の作戦班を最小とし、中隊規模を3個作戦班、一個大隊を3個作戦中隊、一個SFGを3個作戦大隊とし基本編成とした。グリーンベレー隊員は5年以上の軍隊経験を持ち全員が志願兵である。選抜試験での合格率は全体の10〜15パーセントと非常に低く、従って志気、戦闘能力は極めて高い。ベトナム戦争におけるSFGの任務は南ベトナム特殊部隊の設立とその後の教育、少数山岳民族モンタニヤードの反解放戦線、反北ベトナムへの組織化、抵抗力の強化、陸軍部隊との協力で本来の特殊作戦の遂行の3点が挙げられる。困難な任務は難航を極め多くの作戦でグリーンベレーは戦果をあげることができなかった。これは軍上層部がグリーンベレー及び特殊部隊全般の能力を疑問視し、その能力を正確に把握しきれていなかった点によるものが大きい。優れた戦闘能力を持つグリーンベレーだが実際には多くの時間を志気の低い南ベトナム軍の教育にあてられてしまっていた。またSFGの隊員の昇進はほとんどが大尉で止まったため軍上層部に特殊部隊の正確な運用法を知る者が皆無であった。多くの戦場では大尉を長とするグリーンベレー部隊(10〜12名)がモンタニヤード部隊(一組400名で構成)と共に辺境のキャンプを守るというシーンがある。ケサン南方のランベイ特殊部隊キャンプを巡る戦いはその典型的な例で、不満足な施設と粗末な食事という劣悪な環境の中で昼夜を問わず襲いかかってくるベトコンと戦い続けるグリーンベレー隊員の努力は実を結ばなかった。その経験からグリーンベレーは非合法な作戦を展開しそれがマスコミに漏洩し大きな避難を受けることも多かった。グリーンベレーによる特殊作戦はその多くが努力の割に合うものでは無かったと言える。またこの結果からベトナム戦争末期には最大規模の第5SFGの解体という形で具現化される。SFG5(第5特殊作戦群)は東南アジアの作戦に於いて最も活躍した部隊で米軍のMOH(MEDAL
OF HONOR-議会名誉勲章-)を13個も獲得し単一の戦闘単位としては最優秀と評された。にも関わらずSFG5は解体の標的になりベトナム戦争帰還後フォートベニングに於いて解体命令を受領した。この時期ベトナム戦争は終わっておらず航空部隊などはベトナムに駐留していたが、米軍は自ら最強の特殊部隊を葬り去った。特殊部隊に重きを置かない軍上層部の思惑がこの戦争でもかいま見える。
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MIKE FORCE:Movile Strike Force
マイクフォースは別名空中打撃部隊(モビルストライクフォース)と呼ばれる特殊部隊で、ベトナム戦争の初期にCIAのバックアップの元組織されたCIDG(Civilian
Irreguler Defence Group-非正規民間グループ)として組織されたが次第に対ゲリラ戦部隊ちして確立していった。基本的にはアメリカ軍から数名のグリーンベレーが派遣されるのみで戦闘の主体はモンタニヤード(少数高原民族)と中国系ベトナム人が行った。兵力はその都度異なるが4つの軍管区で2000〜3000名でそのうち10〜15%がアメリカ兵であったと言われている。1967年以降マイクフォースはSFG5に組み込まれ自然消滅の形をとっている。ヘリを使用した大規模高機動部隊で連隊規模の5部隊を抱え砲兵部隊も所持している。前戦の偵察部隊とリンクして活動し多くの戦果をあげた。
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LRRP:Long Range Reconnaisance Patrol/LRP:Long Range Patrol
ベトナム戦争時代小規模ながら最も活躍した部隊の一つにLRRPがある。LRRP(Long
Range Reconnaisance Patol-長距離偵察パトロール)という偵察部隊という職種だが、実際にはより緻密で高度な作戦を遂行した。LRRPはグリーンベレーなどとは違い独立部隊ではなく、実戦経験豊富な戦闘部隊、特殊部隊から優秀な兵士を抽出した即席の特殊部隊で75レンジャー大隊、173空挺旅団、25歩兵師団から多数のLRRP隊員が生まれている。LRRPはグリーンベレーの約半分の小隊規模(4〜6名)で行動し独自の規範による行動が許された。一般的な編成としては2〜4名のアメリカ人兵士にARVN、モンタニヤードのスカウト(斥候員1〜2名)で構成された。LRRPはヘリコプターで本隊より40〜60km離れたエリアに空輸され策敵、偵察に務めた。また非武装地帯(DMZ)を越えタイ、ラオス、カンボジアにも侵入した。長距離偵察という特徴から装備も一般部隊とは異なりヘルメットや防弾ベストは着用せずブッシュハットやバンダナを着用しM16ライフルを携行するといった独特のスタイルを確立した。またLRRPの一部は消音器付きのピストルなども携行した。初期には抽出されたメンバーが交代でLRRP任務に就いたがその任務の危険性から各部隊では次第に隊員を固定化するようになった。ベトナム戦争中のLRRPの死傷率は全特殊部隊でもトップであった。戦闘が激化する1967年にはこれまで暫定的であったLRRPは公式の認承を受けLRP中隊として再編される。その結果航空爆撃の誘導、待ち伏せ、標的の補足など敵支配地域での高度な任務を遂行していくことになる。 |
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75th RANGER REGEMENT
第75レンジャー連隊は組織として巨大化したLRRP中隊を1962年2月1日に改称したものである。これまでLRRPとして活動していた隊員はそれまでの作戦を継続したまま75レンジャーとなった。しかし名称を変更しただけで多くの隊員は連隊に帰属せず従来の親部隊でLRRPとしての任務に継続して就いた。例外は199歩兵旅団の第51連隊F中隊(LRP)で彼らは75レンジャー連隊D中隊と改編され親部隊を離れ第2野戦軍に配属され専属のLRPとして活動した。多くのレンジャー隊員は本国でレンジャー訓練を受けるのではなくニャチャンのリーコンドースクールで3週間の特殊訓練を受けた。3週間という短期間でサバイバル、通信、接近戦などあらゆる訓練のを施された。合格率は低かったがレンジャーは即応部隊として各部隊に戻り多大な戦果をあげた。またレンジャー部隊からSOGなどにリクルートする隊員も多くCIAなどは多くの人材を確保する場としても利用した。レンジャーは第二次世界大戦時に活躍したメリルマローダーズの伝統を受け継いだ部隊でその伝統に恥じることのない活躍を見せた。 |
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PROJECT DELTA/LOAD RUNNER
1964年5月より行われた計画で主に南ベトナム特殊部隊LLDBに長距離偵察訓練を行い実戦に赴くプロジェクトであったが、実際に作戦投入されたのはCIDG志願兵と米陸軍特殊部隊の隊員であった。初期には12個偵察チームで構成されその後16個に拡大。彼らはロードランナーと呼ばれ4名の特殊部隊隊員と6名のCIDG隊員で構成され高度な秘密作戦に投入された。その後成果をあげた為シグマ、オメガ、ガンマ部隊を編成し1970年には1200名のCIDG隊員を抱え敵戦線後方の深部偵察を行い北ベトナム、タイ、ラオス、カンボジアで秘密戦争を行った。
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PRU/PROJECT PHENIX
1968年ベトナム化政策が決定される中、ベトナム戦争の早期解決を図るためにCIA主導の元計画されたのがフェニックス計画である。この計画では以前より存在していたPRU(地方偵察隊)という民間防衛隊をカバーネームとして使用したSOG部隊の志願者による秘密組織であった。この秘密部隊の任務は純粋な軍事作戦とは異なり「テロにはテロで対抗する」という理念に基づいておりベトコン幹部の誘拐、脅迫、暗殺など多くの非合法作戦を行った。隊員の選抜は厳しく、2回以上のベトナム従軍経験のあるベテランで機密保全の完全な者が選抜された。同計画はマスコミに漏洩するまでの1968年から1970年まで継続されベトコン組織を壊滅状態に追い込んだ。CIAの推定ではフェニックス計画で40000人以上のベトコン及び関係者を殺害したという。 |
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MACV/U.S. Military Assistance Command, Vietnam
南ベトナム援助アメリカ軍司令部はアメリカ軍軍事顧問(SFG)を監督するため1962年2月8日に創設された。MACVは1964年までに4700人以上の人員を南ベトナム各地に派遣し南ベトナム軍を優秀な戦闘部隊にするという困難な任務に望んだ。軍事顧問は訓練などの肉体的な負荷の他に政治的な圧力にもさらされ特に再訓練を望まない南ベトナム軍士官の説得に苦労した。また軍事顧問は実戦に赴き現場で直接アドバイスを求められ多くの危険にさらされたが、南ベトナム軍に少なからずプロ意識を植え付けることに成功した。
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MACV-SOG/U.S. Military Assistance Command, Vietnam Studies and Observation
Group
MACV-SOGは1967年に陸軍特殊部隊、海軍SEAL、海兵隊リーコン、空軍第90特殊作戦部隊の指揮、統制を行うためにサイゴン近郊のタンソニェット空港内に設置された。MACV-SOGは米国防省とCIAの直接指令で活動し、各特殊部隊から選抜された隊員がMACV-SOG司令部の直接の指示で行動した。その内容はサイゴンに本部を置くMACVや原隊にも一切知らせれず極めて秘匿性の高い高機密の作戦であった。つまりMACV隷下の組織でありながら実際にはCIA主導の全く独立した特殊部隊となっていたのだ。1967年には大規模化されたSOGを監督するためにCCC(Command
and Control Central:中央コマンドセンター)、CCS(Command
and Control South:南部コマンドセンター)、SSN(Command
and Control North:北部コマンドセンター)が置かれ、前方作戦基地(FOB
1/2)を指揮した。しかしあまりにも多くの不正規、非合法作戦を展開していたため頭文字をとって調査観測グループ(SOG)というカバーネームで呼んでいた。彼らはベトナム戦争中最も危険で型破りな任務を行う特殊統合部隊であった。主力となる最小作戦単位パトロールチームで主な構成はアメリカ人3名とCIDG隊員ら9名で組織された。SOGは多くの特殊装備を考案、配備し一般部隊には無い特殊な装備を数多く使用した。 |
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CIDG:Civilian Irregular Defense Group
CIDGとは不正規民間防衛グループの事で1961年にCIAの援助の元開始された。この計画の狙いは南ベトナムに散在する少数民族モンタニヤードを訓練し軍事顧問団直属の準軍事組織に育て上げることで、南ベトナム政府に対する忠誠心は少なかった。CIDGは当初少数山岳民族のモンタニヤードで編成された。彼らはベトナムでも下級民族であり差別の対象であったが、グリーンベレー隊員達は独自のハーツアンドマインド(民心獲得作戦)を展開し信頼を取り付けた。CIDGは地域防衛隊として編成されたが最後まで南ベトナム軍の指揮下にはいることはなかった。特殊部隊隊員達はモンタニヤードと共に生活することで彼らの忠誠心を得ることに成功し親密な関係を維持した。彼らは熱烈な忠誠心を持って戦闘に望み志気は極めて高かった。1963年には一万八千名のCIDG隊員が組織され150人規模の部隊に分けられ22の特殊部隊Aチームに率いられ特殊作戦を展開した。その後もマイクフォース、プロジェクトデルタなどにも投入され人的部分では特殊部隊の中核をなしていく。
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| U.S.NAVY |
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SEALS:Sea Air Lands
アメリカ海軍特殊部隊SEALは陸軍が多くの特殊部隊を保有しだした同じ頃に発足した。UDTを母体とする同チームはより攻撃的な性質を持っておりベトナム戦争から現在まで最も印象的な特殊部隊として存在し続けている。シールは海SEA、空AIR、陸LANDの頭文字をとったものでその名の通りあらゆる地域での活動を可能にしている。彼らの本来の目的は海軍の侵攻しようとしている地域の事前偵察、観測、調査、航空部隊のための地図の作製であったが、他にも海軍の担当地域であったメコンデルタ地帯を活動範囲に持つBWN(ブラウンウォーターネービー−海軍河川哨戒部隊)の眼になり偵察行動を一手に引き受けた。ブラウンウォーターネービーの河川強襲軍(RAF-River
Assault Force)は強力な打撃力を持つ部隊であったが、機動力が鈍いためその有効な活用にはシールの偵察能力が不可欠であった。シールは自らもSWAB(浅水域攻撃ボート)、HSSC(Havy
SEAL Support Craft)、STAB(SEAL
TEAM ASSAULT
BOAT)、LSSC(Light SEAL Support
CRAFT)といった特殊な武装艇を大量に所有していた。また、SEALはパスファインダーとしての役割以外にも自ら攻撃を行い河川にかかる拠点橋の爆破、捕虜の救出、ベトコンの暗殺など高度な作戦を遂行した。SEALはベトナム戦でのゲリラ戦を元にサイレントオプション(無音作戦)を確立し静粛こそが最大の武器であることを学んだ。一方で陸軍からの武器の供与ではメコンデルタというベトナムでも更に特殊な環境に対応できないため多くの装備品が独自に開発された。チャイナレイクにある海軍の装備研究開発センターでは河川、湿地帯での活動に必要な装備を生み出しこれらは現在でも多くの特殊部隊に使われている。また小規模での偵察を行うシールは大火力を必要とし、長距離偵察部隊とは違い多くの任務を短期間でこなすことから、彼らの装備は武装携行に特化したものになっていった。そのため他の特殊部隊には無い多くの重火力兵器が使用された。シールズは当初チーム1、続いてチーム2が発足したが、最終的には5チームを抱えることになった。
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UDT:Under Water Demorition Team
SEALの母体となったUDTはベトナム戦争中独自の作戦を展開している。水中爆破工作部隊であるUDTは解放戦線の仕掛けた機雷の処理を担当した。オーストラリア海軍もUDTと同様の組織CDT(Clearance
Diving Team-掃海ダイビングチーム)を投入しUDTと同様の任務に就いている。これらのUDTはメコン河、サイゴン河、ブンタウ河などで自軍の補給艦の安全を確保した。この機雷処理任務は特殊作戦の中でも危険な部類に入り、水中での機雷処理中に解放戦線の機雷施設部隊と遭遇しナイフでの戦闘に発展したこともある。現在ではSEALの組織として存在するがUDTは優秀なコンバットスイマーを数多く排出している。 |
| U.S.MARINE CORPS |
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FORCE RECON:Force Reconnaisance
アメリカ海兵隊は完全な志願制でありその任務の特性から全隊員が特殊作戦能力があるとされているが、その中でも特殊部隊は必要とされ各連隊(予備も含めて全12連隊)はフォースリーコンと呼ばれる特殊チームを編成した。フォースリーコンは特別な状況を除き連隊(FMF)の指揮下に入り偵察を主な任務としている。1965年には第3部隊偵察中隊が誕生し長距離偵察及び監視任務を遂行した。フォースリーコン隊員は海兵隊の中でもエリート中のエリートであり水陸両用戦と船艇運用訓練を受けていた。また全員が空挺隊員としての資格を持っており(師団偵察大隊は別)1966年にはベトナム、ラオス、カンボジアの三国の国境が交わった地域で海兵隊初の戦闘降下を行っている。フォースリーコンは偵察に特化した特殊部隊でありグリーンベレーやシールズのような派手な策敵殲滅任務は行っていない。しかしながら敵陣深くどこまでも侵入可能な技術と持久能力はベトナム戦争中の特殊部隊でも随一である。
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| U.S.AIR FORCE |
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CCT:Combat Control Team/CSP:Combat Security
Police
アメリカ空軍は特殊部隊に準ずる組織をいくつか所有していた。CCTは地上戦闘支援に飛来する航空機を誘導する2〜4名の作戦班で陸軍の同行して最前線で働く。その性質上空軍兵士でありながら射撃戦闘の能力に長け、高度な近接戦訓練を受けている。CSPは基地の防衛を主任務にした空軍野戦憲兵隊である。ベトナム戦争中には多数の空軍基地などが敵の歩兵大隊に攻撃を受けるという特異な状況が頻発したため従来の基地警備隊では戦力不足に陥っていた。CSPは1968年夏に1万名の兵力を保有し装甲車などで武装した。
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PJ:Para Jumper
アメリカ空軍によるパイロット救出作戦「サーチアンドレスキュー」に於いて負傷し行動不能になったパイロットを救助するために編成された隊員でレスキューヘリHH3E、HH53などに通常2-3名が登場する。パラジャンパーはパラシュート降下訓練の他に地上戦闘に備えレンジャー訓練を受けており高度な白兵戦闘能力を有している。また現地で外科医療措置を行うための高度な医療技術と医療機器を運用する。さらにスキューバ訓練も受けておりあらゆる状況下で救難活動が可能になっておりベトナム各地で活躍した。銃器は軽量なカービン銃などを好む。 |
| AUSTLARIA |
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S.A.S./Special Air Survis
ベトナム戦争に参加した部隊の中でアメリカ軍を除いては唯一まともな特殊部隊を持っていたのがオーストラリア軍である。彼らはイギリスのSASを模したコマンド部隊組織を所持しており極めて優秀なジャングル戦を展開した。世界でも屈指の特殊部隊SASの選抜試験をそのまま用いているために極めて高い士気と戦闘技術を持ち活動地域のベトコンを恐れさせた。彼らはジャングルでの戦いを熟知しており独自のアイデアを戦闘に盛り込んだ。ベトナム戦争中のべ2000名の隊員が投入され戦死者は僅かに1名だけであった。90%の戦闘を自らの主導の元で行えたことがオーストラリアSAS最大の成功であり、これらはジャングルでの入念な観察と静粛行動の結果であった。
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CDT/Clearance Diving Team
CDTはオーストラリア海軍が派遣した水中掃海部隊で6個CDTを所持しベトナムには内2個を送った。主にUDT/SEALと共に水中爆破工作を担当。また船に仕掛けられた爆発物の除去墜落した航空機乗員の救助もこなした。さらには高速艇を使った強襲攻撃もこなし独自支援部隊を持つなどの点からSEAL、UDT以上の活躍を見せた。CDTは戦力を補い互いの技術を高めるために24名の隊員を相互に受け共同作戦を実施している。
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