| U.S.ARMY |
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■ベトナム戦争におけるアメリカ陸軍の組織
1950年代のアメリカ陸軍師団は3個歩兵連隊を基本構成とし、これに師団砲兵と各種支援部隊が加わるという編成システムであった。これはトライアングラーと呼ばれた3単位編成で1930年代後半から導入された。朝鮮戦争終結後アメリカは核による大量報復戦略、通称「ニュー・ルック」を確立した。これにともなって陸軍は師団編成の見直しも行った。これはペントミック師団と呼ばれ従来の3単位編成ではなく戦況に応じて弾力的な対応が可能になっていた。
1960年代初頭JFケネディが第35代大統領になると再びアメリカ軍戦略の大幅な見直しが行われ大量報復路線から柔軟対応戦略へとコンセプトが移行した。この戦略は通常戦闘、核戦争を問わずあらゆる種類の侵略行為に対し適切な反撃を行いこれに対処するというものであった。新戦略の導入は軍の装備にも変更を促し陸軍ではこれまでの師団編成を改め11個師団を16個師団へと拡大、同時に師団システムそのものも改編した。1966年12月にはアメリカ陸軍師団再編作業が始まりこれは陸軍師団再編成目標を意味するROAD計画と呼ばれた。ROAD師団の最大の特徴は、3個旅団編成という点にあった。同師団の歩兵大隊数は9〜10個であるから、規模的には従来の3個連隊編成と大差はないが、指揮系統は大幅に変わり、旅団本部は命令の中継点でしかなく直接の命令は師団本部から下される。さらに従来必要に応じて配備されていた機甲化部隊などをはじめから師団付として配備した。
■ベトナム戦争中のアメリカ軍部隊の構成
アメリカ陸軍の歩兵師団はベトナム戦争中ROAD師団として機能している。基幹は3個歩兵旅団と師団砲兵、これに偵察、支援、航空機が加わった。また各師団には機甲化部隊が配備されていたが、ベトナム戦争ではその能力を発揮できなかったため第25歩兵師団以外の部隊では機甲化部隊を米国本土に残して部隊を派遣していた。
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■歩兵部隊
師団歩兵部隊の基本は旅団で1旅団は3ないし4つの歩兵大隊で構成されていた。1個歩兵大隊は4個中隊(1個本部中隊と3個ライフル中隊)からなり、1個中隊は3個ライフル小隊と1個迫撃砲小隊で構成される。ライフル小隊は小隊本部(将校1、兵2)と兵10名からなるライフル分隊3個と兵9名、M60機関銃2挺、90mm無反動砲1門を装備する重火器分隊より構成。迫撃砲小隊は小隊本部(将校1、兵7)と兵6名、81mm迫撃砲を1門保有する迫撃砲3個分隊で構成されている。歩兵大隊の定数は769人で従来の編成よりも規模が縮小されていたが、ベトナム戦争の教訓から変更が加えられ1個中隊が新たに増設されることになった。ただし増設部隊は大隊本部の警備もしくは予備兵力として使用されるものでその兵力は通常中隊の158人に対し96人と小規模になっていた。
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| 師団 |
旅団
(3個旅団で編成) |
大隊
(3個または4個で編成) |
中隊
(本部中隊1、ライフル中隊3で編成) |
小隊
(3個ライフル小隊と1個迫撃砲小隊で編成) |
分隊
(3個ライフル分隊と
重火器分隊で構成) |
備考 |
1個師団
約6000名 |
1個旅団
約1900名 |
1個大隊
約500名 |
1個
ライフル中隊
158名 |
1個
ライフル小隊
42名
1個
迫撃砲小隊
24名 |
1個分隊
約10名 |
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| ●歩兵師団 |
●歩兵旅団 |
●歩兵大隊 |
●本部中隊(8名) |
| ●ライフル中隊 |
●ライフル小隊 |
●小隊本部 |
将校1名と兵2名で構成 |
| ●ライフル分隊 |
兵10名 |
| ●ライフル分隊 |
兵10名 |
| ●ライフル分隊 |
兵10名 |
| ●重火器分隊 |
兵9名、
M60/2挺、88mm無反動砲 |
| ●ライフル小隊 |
| ●ライフル小隊 |
| ●迫撃砲小隊 |
●小隊本部 |
将校1、兵7 |
| ●迫撃砲分隊 |
兵6名、81mm迫撃砲1門 |
| ●迫撃砲分隊 |
兵6名、81mm迫撃砲1門 |
| ●迫撃砲分隊 |
兵6名、81mm迫撃砲1門 |
| ●ライフル中隊 |
| ●ライフル中隊 |
| ●歩兵大隊 |
| ●歩兵大隊 |
| ●歩兵大隊 |
| ●歩兵旅団 |
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| ●歩兵旅団 |
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*師団砲兵
歩兵師団に配備された砲兵は通常4〜5個大隊から構成され105mm榴弾砲大隊と122mm榴弾砲大隊が存在した。主な役割が105mmが歩兵の直接支援、155mmが火力支援全般を行った。師団砲兵の装備は105mm砲がM101A1で空挺砲兵の場合はM102を使用。155mm砲はM114AまたはM109自走砲が使用された。またM110・8インチ自走砲も使用されている。ベトナムに送られた砲兵部隊にはこの他にも航空ロケット砲兵が存在した。これは対地攻撃能力を持つヘリコプターUH-1Bガンシップ部隊で短時間の火力なら105mm砲1個大隊に相当すると言われた。1968年からはAH-1コブラが配備されている。
*師団偵察部隊
師団偵察部隊は航空機、機甲部隊を持つ騎兵隊がその任務に就いていた。しかしジャングルの多いベトナムでは装甲車輌を使った偵察に限界があり、後に師団や旅団司令部に長距離偵察隊(LRRP)が配備されることになった。LRRPは師団に分遣隊として配属されたが後に75レンジャー連隊に改編されLRRPの親部隊となった。(ただし基本的に配属先に移動変更はない。)
*師団航空隊
ベトナム戦争から生まれた戦術にヘリボーンがあるがこれはヘリコプターの発展と大量生産がもたらしたものと言える。各師団は独自の航空兵力を保持し部隊の移動、負傷者の後送、補給、増員などあらゆる面で活躍した。特にエアモービル師団の第101、第1騎兵師団などはヘリコプター保有量が多く、第1騎兵師団は428機のヘリコプターを保有していた。また重火器歩兵小隊はヘリコプターによる運用の結果無反動砲などの重火器を携行できなくなり通常のライフル小隊と変わらない装備になっていた。
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1st INFANTRY DIVISION/第1歩兵師団
”ビッグ・レッド・ワン” 1965/10/2〜1970/4/15
第1歩兵師団が創設されたのは第一次世界大戦(1914-1918年)の事で1917年アメリカ陸軍が創設した初の恒久的師団であり、戦時中最初にヨーロッパに向かった師団である。WWIではドイツ、フランス軍と戦い、アメリカ軍が行ったほぼ全作戦に参加している。師団のニックネームビッグ・レッド。ワンは師団章に描かれる赤い第1師団を表す1を由来にしている。第二次世界大戦勃発後は1942年に出動が命じられ豪華客船クイーンメリー号でイギリスに移動。同師団は北アフリカ、シシリー、ノルマンディーとヨーロッパ/地中海方面における主要な上陸作戦に第一陣として参加。ノルマンディ上陸後、アルデンヌの戦いを経て中央ヨーロッパへと進撃。ドイツ軍降伏後にはチェコスロバキアまで進出。その後ドイツ駐留占領部隊となった。第1歩兵師団に対するベトナム出動命令は1965年10月に下り第2旅団がその先遣隊として出動した。全師団のベトナム展開後、第1歩兵師団は第III軍管区(III
CORPS TACTICAL ZONE)に配属され1966年にはビンロン省で解放戦線師団と交戦。同年9月から10月にかけて行われたアパッチ作戦、67年のジャンクションシティ作戦(年表参照)に参加し1968年のテト攻勢ではサイゴンで戦闘を繰り広げた。1969年に入ると第1歩兵師団は南ベトナムの第5歩兵師団の戦闘能力を引き上げるため実戦を通じての実地任務に就いている。同師団のベトナム撤退は第3次撤兵計画時で1970年4月にアメリカ本土への帰途についた。(但し第3旅団のみドイツに移動)同師団の議会名誉勲章(MEDAL
OF HONOR)者は11人。
| 構成部隊 |
| 師団歩兵部隊 |
| 第2歩兵連隊 |
第1、2大隊 |
第2大隊は機械化 |
| 第16歩兵連隊 |
第1、2大隊 |
第1大隊は機械化 |
| 第18歩兵連隊 |
第1、2大隊 |
|
| 第26歩兵連隊 |
第1大隊 |
|
| 第28歩兵連隊 |
第1、2大隊 |
|
| 師団砲兵部隊 |
| 第5砲兵大隊 |
第1大隊 |
105mm |
| 第6砲兵大隊 |
第8大隊 |
155mm |
| 第7砲兵大隊 |
第1大隊 |
105mm |
| 第15砲兵連隊 |
第6大隊 |
105mm |
| 第33砲兵大隊 |
第2大隊 |
105mm |
| 第25砲兵連隊 |
D中隊 |
目標補足部隊 |
| 師団航空隊 |
| 第1航空大隊 |
空中機動 |
|
| 第162航空中隊 |
空中機動 |
|
| 第173航空中隊 |
空中機動 |
|
| 第16騎兵連隊 |
C中隊 |
航空 |
| 師団偵察部隊 |
| 第4騎兵連隊 |
第1大隊 |
機甲偵察 |
| 第52歩兵連隊 |
F中隊 |
長距離偵察(LRRP) |
| 第75レンジャー連隊 |
I中隊 |
|
| 師団支援部隊 |
| 第1工兵大隊 |
|
|
| 第1衛生大隊 |
|
|
| 第1補給輸送大隊 |
|
|
| 第121通信大隊 |
|
|
| 第1管理中隊 |
|
|
| 第701整備大隊 |
|
|
| 第1MP中隊 |
|
|
| 第337陸軍保安中隊 |
|
|
| 第242化学戦分遣隊 |
|
|
| 第226化学戦小隊 |
|
|
| 第17戦史記録分遣隊 |
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|
| 第1諜報中隊 |
|
|
| 第43広報分遣隊 |
|
|
| 第44広報分遣隊 |
|
|
| 臨時配属部隊 |
| 第11機甲騎兵連隊 |
第3大隊 |
|
| 第60歩兵連隊 |
第5大隊 |
機械化 |
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1st CAVALRY DIVISION/第1騎兵師団
”ザ・ファースト・チーム” 1965/9/11〜1971/4/29
第1騎兵師団の歴史は1921年に遡る。この年アメリカに制定された国防法により師団は9月12日付けで創設され第1、5、7、8騎兵連隊を基幹とし、これに通信、砲兵、工兵などの部隊を加えた。1932年に第1騎兵連隊は第1機械化部隊として再編成されるため師団を離れ代わって第12騎兵連隊が配属される。ベトナム戦争に投入される第1騎兵師団はこうして形成されていった。第1騎兵師団は第二次世界大戦を経験するがその当時騎馬を使用した騎兵は既に時代遅れになっており同師団は部隊名をそのままに歩兵部隊としての訓練を受けることになる。1942年太平洋戦線に投入された第1騎兵団はオーストラリアへ移動。その後アドミラル諸島、フィリピンのレイテ、ルソン島という激戦地で戦い日本軍降伏後は駐留部隊として日本に留まっている。1950年に朝鮮戦争が始まると朝鮮の戦場に向かい1951年2月まで朝鮮半島での戦闘を行った。その後師団は韓国に移動するが師団旗はアメリカ本土へ空輸される。当時アメリカ軍ではヘリコプターを使用した空中機動部隊の創設を検討しており第1騎兵師団をその最初の空中機動部隊として編成することを決定した。このエアモービル(空中機動)部隊の基幹となったのは、第11エアアサルト(空中突撃)師団と第2歩兵師団で1965年7月11日に第1騎兵師団として生まれ変わった。第1騎兵師団は1965年9月にベトナムへ移動。同年11月にはイア・ドラン渓谷の掃討作戦で北ベトナム軍を撃破し大統領部隊感状を授与されている。1968年には孤立したケサンの海兵隊を救出するため「ペガサス作戦」に参加。その後も優れた機動性を活かしてベトナム全土で活躍する。第1騎兵師団は1970年カンボジア侵攻作戦に投入されたのを最後に第3旅団のみを残し1971年4月4日にベトナムを離脱。師団はベトナム戦争中に25人の議会名誉勲章(MEDAL
OF HONOR)受賞者を出したがこれはベトナム戦争中の陸軍参加部隊では1位である。
| 構成部隊 |
| 師団騎兵部隊 |
| 第5騎兵連隊 |
第1、2大隊 |
|
| 第7騎兵連隊 |
第1、2、5大隊 |
|
| 第8騎兵連隊 |
第1、2大隊 |
|
| 第12騎兵連隊 |
第1、2大隊 |
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| 師団砲兵部隊 |
| 第17砲兵連隊 |
第2大隊 |
105mm |
| 第19砲兵連隊 |
第2大隊 |
105mm |
| 第20砲兵連隊 |
第2大隊 |
航空ロケット砲兵 |
| 第21砲兵連隊 |
第1大隊 |
105mm |
| 第30砲兵連隊 |
第1大隊 |
155mm |
| 第77砲兵連隊 |
第1大隊 |
105mm |
| 第82砲兵連隊 |
第E中大隊 |
航空 |
| 師団航空隊 |
| 第11航空グループ |
|
|
| 第227航空大隊 |
攻撃ヘリコプター |
|
| 第228航空大隊 |
攻撃支援ヘリコプター |
|
| 第229航空大隊 |
攻撃ヘリ |
|
| 第11航空中隊 |
全般支援 |
|
| 第17航空中隊 |
固定翼輸送機 |
|
| 第478航空中隊 |
重輸送ヘリ |
|
| 師団偵察部隊 |
| 第9騎兵連隊 |
第1大隊 |
航空部隊 |
| 第11パスファインダー中隊 |
臨時編成 |
|
| 第52歩兵連隊 |
E中隊 |
長距離偵察(LRRP) |
| 第75レンジャー連隊 |
H中隊 |
|
| 師団支援部隊 |
| 第1パーソナルサービス大隊 |
臨時編成 |
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| 第8工兵大隊 |
|
|
| 第13通信大隊 |
|
|
| 第15衛生大隊 |
|
|
| 第15補給大隊 |
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|
| 第15輸送大隊 |
航空整備 |
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| 第27整備大隊 |
|
|
| 第15管理中隊 |
|
|
| 第371陸軍保安中隊 |
|
|
| 第545MP中隊 |
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|
| 第26化学戦小隊 |
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| 第184化学戦小隊 |
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| 第14戦史記録分遣隊 |
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| 第191諜報中隊 |
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| 第583諜報分遣隊 |
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| 第41広報分遣隊 |
|
|
| 第42広報分遣隊 |
|
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| 臨時配属部隊 |
| 第50歩兵連隊 |
第1大隊 |
機械化 |
| 第2歩兵連隊 |
第2大隊 |
機械化 |
| 第11機甲騎兵連隊 |
第1大隊 |
|
| 第11機甲騎兵連隊 |
第2大隊 |
|
| 第11機甲騎兵連隊 |
第3大隊 |
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4th INFANTRY DIVISION
第4歩兵師団は1966年に1旅団ずつベトナムに到着し、中央高地地方の治安維持を担当した。プレイグ省を中心とするジャングル地帯はそれまで第25歩兵師団第1旅団に任されていたがベトナムで最も敵対的なこの地域の平定を目指すには一個師団が必要と判断された結果の投入であった。師団は当初ドラゴンマウンテンに前線基地を築き以後撤退まで高地に留まった。 |
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5th INFANTRY DIVISION
第5歩兵師団はベトナム戦争が激化する中1968年3月コロラド州カーソンから一個旅団を急遽派遣した。旅団でありながら155mm砲を維持するなど高火力を誇り、反戦運動が高まり後方兵士が腐敗する中でも勇猛に戦った。正規軍最後の地上戦闘になったラムソン719にも先鋒として出撃し勇敢に戦った。
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9th INFANTRY DIVISION/第9歩兵師団
”サイケデリック・クッキー” 1967/11/19〜1972/3/10
第9歩兵師団は南ベトナムのメコンデルタ地帯(第IV軍管区)で作戦を行うために動員され、そのための装備と訓練を施された。師団の第2旅団はデルタ地帯の沼地や水路を活動地域とする機動河川部隊の地上兵力となった。第9歩兵師団は由緒ある正規歩兵師団で八つの花弁を持つ部隊章は9番目の息子を示す紋章に由来するが、ベトナム戦争中の兵士の間ではサイケデリック・クッキーと呼ばれた。機動河川部隊(MRF)は陸海軍合同部隊で第9師団第2旅団の歩兵部隊と海軍の第117任務部隊の河川艇が共同作戦を行う部隊として編成され、師団の兵士達は装甲輸送艇で上流に運ばれサーチアンドデストロイ作戦を遂行した。同じ頃北部では第9師団の別の旅団がヘリボーンを使用した作戦を展開しており、河川と空からの機動包囲作戦は強大な火力により成果をあげ、メコンデルタ及びルン・サト特別区域での共産勢力の浸透を最小限にくい止めた。
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23th INFANTRY DIVISION "AMERICAL"/第23歩兵師団
”アメリカル”
第23歩兵師団は1967年9月陸軍唯一の制式名を持つ師団として第11、第196、第198の各軽歩兵旅団から再編成された。アメリカル師団の兵士達は肩に南十字星の部隊章を着用した。各旅団を急遽統合したこの部隊はベトナム戦争中にソンミ(ミ・ライ)村虐殺事件を起こすなどの問題を起こし、師団全体に不当な影を落とした。師団名の由来は太平洋戦争中にマッカーサー元帥が寄せ集めの急増部隊でガダルカナル第1海兵師団を救出した由来に基づいたものである。
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25th INFANTRY DIVISION/第25歩兵師団
”トロピック・ライトニング” 1966/3/28〜1970/12/8
第25歩兵師団は第二次世界大戦勃発後にハワイで創設された師団で1941年10月10日にハワイ駐屯の正規軍と州兵で編成された。1942年12月には第25歩兵師団の一部がガダルカナル島の戦いに投入され日本軍と戦った。その後ソロモン諸島、フィリピンのルソン島を転戦して日本に進駐。朝鮮戦争が始まると移動命令が下り戦争初期の遅滞作戦に従事。朝鮮戦争停戦後はハワイへ帰還している。ベトナム戦争への投入は一部の部隊が1963年1月からベトナム本土へ送られ主にヘリコプター付の機関銃手(ヘリガンナー)として活躍し”ショットガナーズ”というニックネームがつけられた。第25師団の本格的な投入は65年12月に開始されるがこの時出動したのは第3旅団のみで、同部隊は第4歩兵師団の指揮下に入った。師団の主力は66年3月に移動を開始し第III軍管区に配備され、カンボジア国境とサイゴン周辺での作戦を担当する。1967年2月にはタイ・ニン省の解放戦線側の制圧地区通称鉄の三角地帯”を掃討する一大作戦ジャンクションシティに参加。第25歩兵師団は1970年12月の第4次撤退計画に含まれベトナムを去る。同師団はベトナム戦争中21個の議会名誉勲章を授与されている。これは陸軍部隊の記録では第2位の数字である。
| 構成部隊 |
| 師団歩兵部隊 |
| 第5歩兵連隊 |
第1大隊 |
機械化 |
| 第9歩兵連隊 |
第4大隊 |
|
| 第12歩兵連隊 |
第2大隊 |
1967/8 第4師団から転属 |
| 第14歩兵連隊 |
第1、2大隊 |
第1大隊は1967/8 第4師団に移動配属 |
| 第22歩兵連隊 |
第2大隊 |
機械化 1967/8 第4師団から転属 |
| 第22歩兵連隊 |
第3大隊 |
|
| 第23歩兵連隊 |
第4大隊 |
機械化 1967/8 第4師団から転属 |
| 第27歩兵連隊 |
第1、2大隊 |
|
| 第35歩兵連隊 |
第1、2大隊 |
1967/8 第4師団に移動配属 |
| 師団機甲部隊 |
| 第34機甲連隊 |
第2大隊 |
1967/8 第4師団から転属 |
| 第69機甲連隊 |
第1大隊 |
1967/8 第4師団に移動配属 |
| 師団砲兵部隊 |
| 第8砲兵連隊 |
第1大隊 |
105mm |
| 第9砲兵連隊 |
第2大隊 |
105mm 1967/8 第4師団に移動配属 |
| 第11砲兵連隊 |
第7大隊 |
155mm |
| 第13砲兵連隊 |
第3大隊 |
105mm |
| 第77砲兵連隊 |
第2大隊 |
105mm 1967/8 第4師団から転属 |
| 第77砲兵連隊 |
第6大隊 |
105mm |
| 師団航空部隊 |
| 第25航空大隊 |
|
|
| 師団偵察部隊 |
| 第4騎兵連隊 |
第3大隊 |
機械化 |
| 第50歩兵連隊 |
F中隊 |
長距離偵察部隊(LRRP) |
| 第75レンジャー連隊 |
F中隊 |
|
| 師団支援部隊 |
| 第1、2、3支援大隊 |
臨時編成 |
|
| 第25衛生大隊 |
|
|
| 第25補給輸送大隊 |
|
|
| 第125通信大隊 |
|
|
| 第65工兵大隊 |
|
|
| 第725整備大隊 |
|
|
| 第25管理中隊 |
|
|
| 第25MP中隊 |
|
|
| 第327陸軍保安中隊 |
|
|
| 第9化学戦分遣隊 |
|
|
| 第25諜報中隊 |
|
|
| 第18戦史記録分遣隊 |
|
|
| 第15広報分遣隊 |
|
|
| 第20広報分遣隊 |
|
|
| 臨時配属部隊 |
| 第9歩兵師団 |
第3旅団 |
|
| 第11機甲騎兵連隊 |
第1、3大隊 |
|
|
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82th AIRBORNE DIVISION/第82空挺師団
”オールアメリカン” 1968/2/18〜1969/12/11
ベテラン空挺師団として名高い第82空挺師団は第一次世界大戦時に創設され当初は歩兵師団であった。ニックネームのオールアメリカンは当時の兵士が全米の出身者で構成されていたことに由来する。第一次世界大戦ではヨーロッパ派遣軍として戦闘に参加。サン・ミィエル、アルゴンヌ戦で活躍。この戦争におけるアメリカ軍最大の英雄「アルビン・ヨーク」軍曹(1942年に映画化:主演ゲーリー・クーパー)も82歩兵師団所属であった。戦後は動員解除となり予備役師団として第二次世界大戦を迎えるが1942年3月に現役部隊として復帰。アメリカ陸軍最初の空挺師団として編成された。同大戦ではシシリー、ノルマンディー、オランダで空挺作戦を実施。ドイツ占領後はアメリカ軍駐留儀仗部隊としてベルリンに駐留。朝鮮戦争では出兵は見送られたが、65年にドミニカ共和国の治安維持に出兵。その後1968年にはベトナムに投入されたが投入部隊は第3旅団のみとなった。ベトナム滞在は短く69年の第二次撤退計画に組み込まれベトナムを去った。
| 構成部隊 |
| 旅団歩兵部隊 |
| 第505歩兵連隊 |
第1、2大隊 |
空挺 |
| 第508歩兵連隊 |
第1大隊 |
空挺 |
| 旅団砲兵部隊 |
| 第321砲兵連隊 |
第2大隊 |
空挺105mm |
| 旅団航空部隊 |
| 第82航空大隊 |
A中隊 |
|
| 旅団偵察部隊 |
| 第17騎兵連隊 |
第1大隊B中隊 |
機甲 |
| 第75レンジャー連隊 |
O中隊 |
|
| 旅団支援部隊 |
| 第82支援大隊 |
|
|
| 第58通信隊 |
|
|
| 第307工兵大隊 |
C中隊 |
空挺 |
| 第408陸軍保安分遣隊 |
|
|
| 第52化学戦分遣隊 |
|
|
| 第518諜報分遣隊 |
|
|
|
|
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101th AIRBORNE DIVISION/第101空挺師団
”スクリーミング・イーグルス” 1967/11/19〜1972/3/10
第101空挺師団の編成は第一次世界大戦であるが(当時は歩兵師団)、当時は編成が遅かったため大戦には参加しておらず1918年12月に解隊される。第101空挺師団の再編成は第二次世界大戦中の1942年8月だがこの時はじめて空挺師団として編成される。1943年訓練と編成の終了した第101空挺師団は海外派兵が命じられフランス侵攻に備えイギリスに渡る。初陣はノルマンディ上陸作戦で上陸部隊を援護するために第82空挺師団と共にフランスへ空挺降下している。その後マーケットガーデン作戦の空挺部隊としてオランダへ降下。1944年末のバルジの戦いではベルギーのバストーニュでドイツ軍に包囲されるが、最後まで降伏せずに街を守り抜いた。戦後は訓練師団となるが1965年には現役師団として復帰。同年7月には101空挺師団第1旅団に出撃命令が下りベトナムへと移動した。第II軍管区に配備された第101空挺師団は第1騎兵師団の展開を容易にするためアンケ地区の掃討作戦を実施した。第101空挺師団の主力は1967年11月に展開を完了し第1旅団は師団に復帰した。第101空挺師団は実際にはヘリコプターを大量に使用するエアモービル(ヘリボーン)師団であったが、その名称は最後まで空挺師団のままであった。1972年にベトナムを撤退するまでに同師団は17人の議会名誉勲章受章者を輩出した。
| 構成部隊 |
| 師団歩兵部隊 |
| 第187歩兵連隊 |
第3大隊 |
空中機動(ヘリボーン) |
| 第327歩兵連隊 |
第1、2大隊 |
空挺 |
| 第501歩兵連隊 |
第1、2大隊 |
空中機動(ヘリボーン) |
| 第502歩兵連隊 |
第1、2大隊 |
空中機動(ヘリボーン) |
| 第506歩兵連隊 |
第1、2、3大隊 |
空中機動(ヘリボーン) |
| 師団砲兵部隊 |
| 第11砲兵連隊 |
第2大隊 |
155mm |
| 第39砲兵連隊 |
第1大隊 |
155mm |
| 第77砲兵連隊 |
第4大隊 |
航空ロケット砲兵 |
| 第319砲兵連隊 |
第2大隊 |
105mm |
| 第320砲兵連隊 |
第2大隊 |
105mm |
| 第321砲兵連隊 |
第1大隊 |
105mm |
| 第377砲兵連隊 |
A中隊 |
航空 |
| 師団航空隊 |
| 第101航空グループ |
旧第160航空グループ |
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| 第101航空大隊 |
空中機動 |
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| 第158航空大隊 |
攻撃ヘリ |
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| 第159航空大隊 |
攻撃ヘリ |
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| 第163航空中隊 |
全般支援 |
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| 第778航空中隊 |
重輸送ヘリ |
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| 師団偵察部隊 |
| 第75レンジャー連隊 |
L中隊 |
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| 第17騎兵連隊 |
第2大隊 |
機甲のちに航空 |
| 師団支援部隊 |
| 第5輸送大隊 |
航空整備 |
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| 第326衛生大隊 |
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| 第326工兵大隊 |
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|
| 第426補給大隊 |
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|
| 第501通信大隊 |
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| 第801整備大隊 |
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| 第101管理中隊 |
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| 第265陸軍保安中隊 |
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| 第10化学戦小隊 |
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| 第20化学戦分遣隊 |
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| 第36化学戦分遣隊 |
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| 第22戦史記録分遣隊 |
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| 第101諜報中隊 |
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| 第25広報分遣隊 |
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| 第34広報分遣隊 |
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| 第45広報分遣隊 |
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| 臨時配属部隊 |
| 第11歩兵旅団 |
独立旅団 |
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| 第1騎兵連隊 |
第1大隊 |
機甲 |
| 第5騎兵連隊 |
第3大隊 |
機甲 |
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173th AIRBORNE BRIGADE/第173空挺旅団
”スカイ・ソルジャース” 1965/5/7〜1971/8/25
スカイソルジャースのニックネームで知られる第173空挺旅団はアメリカ軍唯一の独立空挺旅団として1963年3月に編成された。旅団の基幹となったのは第503空挺連隊で、同連隊は第二次世界大戦中の1942年に編成された独立パラシュート連隊である。第二次世界大戦では太平洋戦線に投入され、ニューギニア、フィリピンで戦い1945年にはコレヒドール要塞に空挺降下作戦を実施した。連隊章(クレスト)に入っている”The
Rock”の文字はコレヒドール要塞のニックネームである。第173空挺師団はジャングルでの訓練を経験した後、沖縄からベトナムに投入された。1967年に実施されたジャンクションシティ作戦ではこの戦争におけるアメリカ軍唯一の空挺降下を行っている。作戦自体は失敗したものの、その後もダ・クトでの戦闘などに参加。875高地をめぐる戦いでは北ベトナム軍第719連隊を相手に死闘を展開し大統領部隊感謝状を授与されている。1969年以降は第II軍管区における治安維持を担当しベトナムを南北に走る幹線道路QL1をはじめとする交通網の確保に従事している。第173空挺旅団はベトナム戦争中12名が議会名誉勲章を授与されているが、これは部隊規模から見れば陸軍第一位の数である。
| 構成部隊 |
| 旅団歩兵部隊 |
| 第503歩兵(空挺)連隊 |
第1、第2、第3、第4大隊 |
空挺部隊 |
| 旅団砲兵部隊 |
| 第319砲兵連隊 |
第3大隊 |
105mm/空中機動 |
| 師団航空隊 |
| 第355航空中隊 |
空中機動 |
ヘリコプター |
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196th INFANTRY BRIGADE/第196歩兵旅団
第196歩兵旅団はマサチューセッツ州フォート・デベンズで創設された部隊で本来はドミニカ共和国における治安維持任務に就く予定だった。しかしベトナム戦争の激化から予定が変更され1966年8月にはベトナムへの移動命令が下り、第III軍管区へ配置された。1967年4月には第196歩兵旅団は選抜されて第101空挺師団第1旅団、第25歩兵師団第3旅団とともに師団規模の特別任務部隊タスクフォースオレゴン(Task
Force Oregon)を編成し第I軍管区へ移動した。タスク・フフォース・オレゴンは1967年9月に第23師団とその任務を交代するが、196歩兵旅団だけは他の部隊と違い原隊に戻らず23師団隷下に配置された。1969年2月15日には公式に23師団に編入された。第196歩兵旅団はその後23師団が解体された後もベトナムに留まり再び独立師団として作戦行動を実施。ダナン地区に移動して治安維持任務を担当している。同旅団の撤退は第12次撤退計画時で1972年6月の事であった。
| 構成部隊 |
| 旅団歩兵部隊 |
| 第1歩兵連隊 |
第2大隊 |
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| 第6歩兵連隊 |
第1大隊 |
1971年11月のみ |
| 第21歩兵連隊 |
第3大隊 |
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| 第31歩兵連隊 |
第1大隊 |
1971/8〜1972/6まで第23師団より配属 |
| 第27化学戦分遣隊 |
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| 第10広報分遣隊 |
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199th INFANTRY BRIGADE(Light)/第199歩兵旅団(軽装備)
”レッドキャッチャー”
第199歩兵旅団は兵力の強化が図られるベトナムにおいて1966年夏にジョージア州フォートベニングで編成され、年末には装備、訓練を終えロン・ビンに到着した。旅団の重装備はまだ輸送中であったにもかかわらずD戦闘区で行われたユニオンタウン作戦に投入された。1967年になると旅団はサイゴン周辺の治安維持を任され南ベトナム軍の共同作戦を遂行した。このARVNとの同時作戦はダブルフォースと呼ばれアメリカ軍が作戦に従事するときには必ず同規模の南ベトナム軍が配属されるというコンセプトであった。
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11th ARMORED CAVALRY REGIMENT/第11機甲騎兵連隊
”ブラックホース”
当初ジャングルでの機甲部隊の有効性を疑問視していた軍部であったが、M113APCの登場により戦術構想が一変、1966年8月に展開した第11騎兵連隊はベトナムに展開し陸軍屈指の機甲部隊となった。M113装甲車は戦場のタクシーとして兵員を安全に輸送し、装備された重火器で歩兵部隊を直接支援した。ヘリボーンよりも機動性に劣るものの、歩兵と共にその場に留まることのできる装甲車は兵士達から頼りにされていた。
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18th MILITARY POLICE BRIGADE/第18憲兵旅団
第18憲兵旅団はベトナムに最初に展開した陸軍正規部隊で1965年3月に南ベトナムに展開した。1968年のテト攻勢を行ったとき大隊はサイゴンでの戦闘の矢面に立たされ、一時アメリカ大使館まで占拠されたがMP部隊はこれを奪還。以後も市街戦を展開しテト攻勢を退けた。同旅団第716憲兵大隊は都市部における対テロ対策部隊としてサイゴンを警備し、VIPの警護、交通整理なども行った。
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