| BOSNIA 1995 |
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国連軍に参加した米軍部隊
左からSEAL、国連軍保有のM163A2、第10山岳師団、空軍STS
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現用の米軍装備品が流行しているにも関わらず
あまり開催されない現用関連イベント、そんな中遂に開催されました
その名も「ボスニア・ヘルツェゴビナ11995」です
あまり開催されることにない現用イベント、その原因は敵対勢力の装備を
所持している方が少ないという事が一因と考えていましたが
現場についてびっくり・・・「いるじゃん(爆」
今回の主役はもちろん米兵ではなく互いに憎しみ会うセルビア人と
ボスニアの各勢力。
米軍及び国連軍はその仲介と衝突停止の抑止力として
投入されましたが民族問題の根強さを思い知らされただけでした(死
内容は1995年頃のボスニア・ヘルツェゴビナの民族紛争をモチーフにしており
クロアチア軍、セリビア人勢力、その他大勢と国連軍が時には敵、時には味方として
戦闘を繰り広げました。
実に楽しいイベントでした
関東近辺にお住まいの方は是非次の機会に参加しましょう
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■舞台背景
かつて、「ユーゴスラビア連邦」という社会主義路線国家があった。クロアチア、スロベニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国からなっていたこの国は、建国の父チトー大統領の死去、ソビエト連邦の崩壊といった要因によって90年代にはいると各国の独立意識が高まっていた。
1991年、クロアチア、スロベニア、マケドニアが独立を宣言したことでユーゴスラビア連邦は解体への道を歩み始める。
1992年にはボスニアは内戦状態に陥り、民族紛争の火蓋はきって落とされた。そして1995年7月、ボスニア軍、クロアチア軍はセルビア軍に対して反撃作戦を開始した。これに対し、国連軍(UNPROFOR)は難民保護、停戦調停などに奔走したが、逆に各派の武装勢力の攻撃にに晒され、国連要員の拉致などの被害を受けていた。
そしてこの紛争の解決を図るためNATOはセルビア軍陣地に設置された重火器に対して空爆を実施。これによってようやく各派指導者達を停戦交渉のテーブルにつかせることができたのであった。
本イベントは1995年8月の「嵐作戦」をテーマとしたイベントである。
*上記テキストは当イベント主催HP「みりさば」さんから転載させていただいています。
色々なイベント情報があるようなのでこまめにチェックしてみてください。
参考 みりさばHP:http://www.ne.jp/asahi/mili/surva/
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■イベントに参加された方へ
今回のイベントに参加された方でこのページ内の写真が欲しい方、写真を撮る暇がないほど虐殺に夢中になっていた方などはフレームのメール欄からご連絡下さい。指定サイズにてメール送付させて頂きます。
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現地に集合し装備の点検を行う空軍所属のSTSメンバー。偵察用バイク、車両などを利用し現地の情報収集などを行った。 |
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アドリア海からやってきた海軍の皆さん。主に偵察、暗殺などを担当したが現地人の非協力的態度により敗走につぐ敗走。最期は国連軍の装甲車に守られ撤退を開始するも多くの犠牲を出した。 |
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各勢力の緊張が高まっている中で情報収集及び仲介に出発した第10山岳師団の面々。この後現地に到着するも思わぬ反撃に会い多くの隊員が帰らなかった。 |
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セルビア人勢力。現地のイスラム系住民などを虐殺し援助に入ったクロアチア軍、果ては国連軍すらも容赦なく攻撃。その残忍な戦術と恐ろしい兵器の数々は西側諸国を恐怖に陥れた。 |
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クロアチア軍、イスラム勢力連合。当初国連軍と共に優勢に戦局を運ぶが国連軍第10山岳師団との交渉が失敗しセルビア、国連双方からの攻撃対象になった。最終的に国連軍が介入中止し双方を相手に戦闘し疲弊していたクロアチア軍はセルビア人に敗北。捕虜はすべて虐殺された。 |
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ジャーナリストが撮影した虐殺風景。降伏し陣地から出たクロアチア軍兵士、イスラム系武装勢力を殺害する模様。 |
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まだ僅かに息のある兵士に無惨にもとどめを刺すセルビア人兵士。双方の憎しみの大きさは計り知れない。 |
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セルビア人による虐殺は所構わず行われた。また多くのジャーナリストもその巻き添え似合い死傷した。 |
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セルビア人狙撃兵。国連軍を狙い多くの国連兵士、米兵が犠牲となった。海軍特殊部隊が殺害命令を受け作戦を実施したが作戦は失敗した。 |
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国連軍が戦闘地域に配置したM163A2対空自走砲。圧倒的火力を誇り各勢力の引きはがしに貢献したが国連軍撤退時には撤退用の防壁として使用され大破。乗員を救助する為に敵中にSTS、第10山岳師団、ドイツ軍などが取り残され、クロアチア、セルビア人勢力などから攻撃を受け多くの犠牲者を出した。 |
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国連軍車両。彼らはこの白い平和の車両にも容赦のない攻撃と罵声を浴びせた。 |