INFANTRY/COMBAT RIFLES(歩兵用ライフル)
小火器の歴史(創生期〜19世紀末)
銃器の歴史を語る上で欠かせないのが火薬の存在である。火薬は紀元前3世紀の古代中国で火薬の原料である硝石が発見された事でその開発と利用が始まる。当初は狼煙などの信号用に使用されていた硝石はその後長い年月をかけて黒色火薬となっていく。
火薬を使った小型火器が開発されて600年(世界最古は1372年中国が開発した小銅銃とされている。)経つが、銃器の信頼性が戦場での実戦的な使用に絶えうる様になったのは16世紀の事である。当時の遠距離攻撃武器はボウ(弓)やクロスボウ(石弓)であり、弦の張力(反発力)を利用して矢を飛ばすものであった。銃器が発明されて長い時間が経ってなお弓が使用されていた背景には信頼性も去る事ながら連射速度や射程距離、命中精度、全天候性に至るまで弓の性能が優っていたからに他ならない。
弓の信頼性は高く、この後アメリカ独立戦争でも大々的に使用される。また20世紀、ベトナム戦争でもその静粛性からアメリカ軍特殊部隊に使用されている。
従って当時の銃は一部のエリート部隊や儀礼用として使用されるのみであった。当時の銃の射撃システムは15世紀にヨーロッパで開発されたマッチロック(火縄)式と呼ばれる物で、1543年にはポルトガル人によって日本にも火縄式ライフルが伝えられている。ロックとは弾丸を発射する為の点火方式を意味する言葉で、マッチロック(火縄)ライフルはそれまで使用されていた火種を直接手で押しつけて激発を誘うタッチホイール方式の銃器よりも確実な射撃が可能で、両手で射撃に集中できる事から命中精度が大幅に向上した。マッチロック方式は火縄と呼ばれる縄(火がついた縄では無く火縄は部品の名)を使用して射撃を行うもので、引き金を引く事で着火された火縄が火皿に落ちそこから火口と呼ばれる導火システムに伝わり銃身内部の装薬が燃焼、激発する方式である。弾丸は銃身前方から事前に弾丸と火薬を装填する前装式(先込式)で、火薬は黒色火薬を使用する。
マッチロック式ライフルはその後着火システムの欠点を補うべく改良が行われホイールロック式ライフルや火打ち石を擦りつけて着火するフリントロック方式などが開発されている。ホイールロック方式は複雑な歯車と黄鉄鉱を使用し回転する遠心力で着火と激発を行う方式であった。これは構造が複雑で、不発率も高く、コストが高くなる事から普及は限定的で軍用火器としてはその多くがマッチロック式のままであった。その後登場したフリントロック式は当たり金と火蓋が一体化された構造を持ち撃鉄が確実に火蓋を捉え着火する事から信頼性が高くこの後の前装式ライフルのスタンダードになっていく。
フリントロック式はフランス人マルタン・ル・ブルジョワによって1620年に開発されたと言われ19世紀までの間世界中でこの方式のライフルが製造される。
フリントロック式ライフルはシンプルな構造で、コストも低かった事からヨーロッパを中心に普及が始まる。これにより歩兵用の遠距離火器ライフルは弓や石弓に代わって戦場での主力火器になっていく。銃の普及はフリントロック式ライフルの開発で始まるがその要因は一つでは無かった。銃は当時遠距離武器の主力であった弓と比較すると使用に特別に強い筋力や訓練を必要とせず、射出した弾丸を敵に再利用される心配が無い。(矢は敵に再利用されその場で射返される事が多かった)

1650年になると命中精度の向上の為に銃身にライフリングが刻まれる様になる。この頃の銃は平均的な有効射程距離は100m以下、射撃速度はフリントロック式で一分間に3発程度であった。ライフリングは当初銃身に対して水平に刻まれるストレートライフリングなどが主流であり、特に科学的な裏付けも無かった。また一部後装式(ブリーチローダー)のライフルも発明されている。
1700年代には銃器は更に普及し軍隊では欠かせない兵器となっていく。それまでマスケット銃を持つマスケッターに代表される一部のエリート部隊向け火器であったライフルは騎兵向けに短縮、軽量化されたモデルや士官用のピストルなどが開発されると騎兵の象徴であった剣や槍に代わって使用される様になり、歩兵からエリート部隊に至るまで銃が普及する。同時に防具としての金属鎧が無力となり徐々に姿を消し始める。1735年にはオーストリアでライフル中隊(イェーガー)が誕生し1735年にはドイツでもライフル中隊が組織される。彼らの使用する銃にはストレートライフリングが刻まれ優れた命中精度と飛距離を実現した。これは1742年にイギリス人数学者ベンジャミン・ロビンがライフリング法則を発見する以前の事であった。

1775年にアメリカ独立戦争が勃発すると独立軍(アメリカ軍)はヨーロッパの狙撃ライフルよりも遙かに長く軽量かつライフリングを持つペンシルバニアライフルやケンタッキーライフルを使用しイギリス軍を圧倒した。45口径のペンシルバニアライフルは油を染み込ませた布に弾丸を包む装填方式で350m先の人間を狙撃するに十分な能力を持っていた。
一方イギリス軍はフリントロック機構を持つ後装式ライフル、ファーガソンライフルを発明。ファーガソンライフルはトリガーガードを回転させネジ式プラグをバレル後端から下方に降下させそこから弾丸と火薬を装填。装填後はトリガーガードを回転させ元に戻し射撃体勢が整った。ファーガソンライフルは命中精度も去る事ながら速射性に優れており1分間に6発の射撃が可能で雨や風の中でも問題なく射撃が行えた。1776年にファーガソンと彼のファーガソンライフル、そして訓練された兵士がアメリカに送られたが絶対数の不足から戦線を好転させるには至らず、ファーガソン自身も1780年のキングスヒルの戦いで戦死、ファーガソンライフルは歴史に埋もれていく。

1800年代になると銃の発達速度はこれまでと異なり劇的なものとなる。その皮切りとなったのは1818年のパーカッションライフル発明である。パーカッションライフルは前装式(マズルローディング)で最大の特徴はハンマーと火門の間に着火材としてパーカッションキャップ(後の雷管)を使用している点で、少しの衝撃でも爆発する雷酸第二水銀(Hg(ONC)2)と呼ばれる化合物を利用している。パーカッションライフルの登場により以降10年間で旧式のフリントロックライフルはすべてこの形態に変更される。パーカッションライフルは不発率、耐久性、安定性などでフリントロックライフルよりも優れた能力があった。パーカッションライフルは前装式(マズルローダー)ライフルとしての最終形態であり、この後は後装式(ブリーチローダー)ライフルの時代になる。
1800年代中期に入ると小火器の改良以上に優れた弾丸の開発が開始される。それ以前の弾丸は創生期と比べても特別な進化は無く銃身径以上に大きな弾丸を使用する事で弾丸を銃身に密着させていた。この方式は命中精度を維持するには必要であったが、銃身よりも大きな弾丸を無理矢理火薬の爆発ガスで押し出す行為は通常よりも多い火薬を必要とし、衝撃も大きく命中精度の低下に繋がった。
フランスで発明されたエクスパンド弾(ミーニエ弾)は弾丸の底部を空洞化し薄い底板を装着。弾丸は銃身径よりも僅かに小さく製造され発射時に発生するガスがこの底部に当たると弾丸が圧力により変形し膨張、銃身内部に設置されたライフリングに密着し銃身から撃ち出される。この弾丸の開発により必要以上に多くの火薬を使用しなくても銃弾を容易に発射できる様になり命中精度、飛距離などが飛躍的に向上した。この結果、当時の一部エリート部隊や狙撃部隊の射撃レベルと一般兵士の射撃レベルの差が殆ど無くなってしまった。
1853年〜56年に行われたクリミア戦争やアメリカの南北戦争では同方式のミーニエ弾を使用したエンフィールドP/53ライフルやアメリカ製スプリングフィールドM1855ライフルを使用し戦果をあげている。同時代のライフリング装備のライフルとミーニエ弾は射程900mを誇り、900m先でも優れた命中精度を誇った。

1861年から始まったアメリカ南北戦争はマズルローダー(前装式)ライフルが衰退しブリーチローダー(後装式)ライフルや金属製のカートリッジ(薬莢)の発展、開発を促進させるきっかけとなった。1863年に開発されたスペンサーライフルはカートリッジタイプの弾丸とレバーアクションと呼ばれるトリガー下部に設置されたレバーを操作する事でハンマーのコックと薬莢の排出、次弾の薬室への装填を行うもので、弾丸は銃床内部に設置されたチューブ型弾倉に7発が収納された。
当時連発式のライフルは粗悪な弾薬や複雑な構造、装弾不良などにより軍から敬遠されがちであったが不発などの撃発系トラブルは圧倒的に少なかった。スペンサーライフルの集弾性能は同時代に使用されていたパーカッション式ライフルよりも50%以上優れていた。欠点としては初期の金属カートリッジを使用した弾丸はとても重く大きい物であった。
南北戦争(1861-1865年)ではライフルを使った本格的なスナイパーが初めて登場している。ライフルには単純な構造ながらスコープが搭載されスナイパーは主にプロのハンターやスポーツ射撃の愛好家などが選ばれた。1860年代になると金属薬莢とボルトアクションによる連発式ライフルが徐々に軍用ライフルのスタンダードになっていく。1866年にはドイツのドライゼライフル、フランスのシャスポーライフル、1869年にはスイスでバッテリーライフルがそれぞれ開発されている。
1877年に勃発したロシア・トルコ戦争ではロシア軍が単発式ボルトアクションライフルであるベルダンを使用し対するトルコ軍はピーボディ・マルチーニ単発ライフルとウィンチェスターを使用。レバーアクションを持つウィンチェスター連発ライフルは脅威の火力を持ちロシア軍を圧倒。甚大な被害を与えるに至った。
これにより連発式、ボルト/レバーアクション、ブリーチローダーは軍用ライフルの基本能力として広く認知されていく。
小火器の歴史(19世紀末〜20世紀前半)
1880年代になるとこれまで使用していた弾丸の口径をより小さくしていく動きが多く見られる。フランスで1887年に採用されたレベルライフルは無煙火薬を利用した8mm小口径弾を使用している。従来411mm前後で使用されていた弾丸を30口径前後にしていく事で、弾丸自体が軽量化され軍用として重要な携行弾数の増大が計られる。この小口径化はライフルの歴史で最初のものであり、他国もこれに追随する。以降西側では1950年代の7.62x51mmNATO弾、1960年代の5.56x45mm弾と段階的に小口径化を歩む。1899年以降に起きた2つの戦争ではアメリカ、イギリス軍双方共に保有するライフルがそれぞれの敵軍の使用するライフルに対して多くの欠点がある事を認識しそれぞれ新型ライフルを開発していく事になる。1870年代以降の軍用ライフルでは単発式のボルトアクションやチューブ式弾倉が一般的であったが80年代に入り本体にロータリー式やクリップ式弾倉を持つ連発式ボルトアクション軍用ライフルが多用されていく。中でも1898年にドイツのモーゼルが開発したGew98ライフルは近代ボルトアクションの基礎となるモデルとなり、同時代のライフルに多大な影響を与えた。同方式のボルトアクション構造は現在に至るまで多くのライフルで使用されている。
アメリカ軍はこのライフルを基本にスプリングフィールド工廠に於いて1903年に30-06口径のM1903ボルトアクションライフルを採用。一方イギリス軍でもこれまでのチューブ式弾倉とは異なる縦型の弾倉を持つマガジン・リー・エンフィールド Mk1 ライフル(MLE)を採用した。MLEはその後近代戦の舞台となる都市部の戦闘などに対応すべく1907年に短縮化が計られショート・マガジン・リー・エンフィールド No1 MKIII(SMLE)となる。この小型ライフルはMLEの短銃身モデルであり遠距離での命中精度が劣るという問題点もあったが、これ以降の戦場に求められる多くの有利な要素を兼ね備えていた。SMLEは第一次世界大戦でも優れた性能を発揮しその後第二次世界大戦でも使用される。
モーゼル式ボルトアクションを採用したアメリカ軍のM1903ライフル


1930年代になるとアメリカ軍は歩兵用軍用ライフルとしては初めてのセルフローディング式ライフルを制式採用する。US .30 M1ライフルと呼ばれるこのライフルは設計者の名をとりM1ガーランド呼ばれた。M1は射撃時に発生するガス圧を銃身に平行して配置したガスピストンに送り自動的に次弾の装填と薬莢の排出を行うものでボルト操作を必要としない点で圧倒的な連射能力と命中精度を誇った。弾丸は専用のクリップに束ねて収納され、ライフルのボルト部分から装填される。装弾数が8発と少ない点や耐砂能力に問題があるなど欠点もあったが、機関銃手など特別な兵員以外が初めて手にする自動火器は各国に多大な影響を与える。
第二次世界大戦に前後してあらゆる火器、兵器が急速に進化していく。
小火器の分野ではサブマシンガンの市街地における掃射能力の有効性が認識され実戦に投入されている。またこれまで重くその使用に制限があったマシンガンはドイツ軍のMG34の登場により汎用性の高いライトマシンガンへの可能性を開いている。また第一次世界大戦以降登場した新しい歩兵、空挺歩兵に於いては彼らの作戦を支援する為の火器が多く登場している。特に小型化と火力向上に重点をおかれたこれら空挺部隊向け火器の改良は後の機械化歩兵やヘリボーン部隊の兵士が持つ小火器の起源となっている。
また同時期に登場した特殊部隊の任務には従来の歩兵用ライフルよりもより機動性と瞬発的な火力を持つサブマシンガンやカービン銃が適している事が判明し、それをサポートする消音器の開発も加速している。

現在各国の軍隊で使用されている一般的な歩兵用ライフルはアサルトライフル(突撃銃)と呼ばれているが、その可能性を僅かながらに見せたのが、1941年に登場したアメリカ軍のM1カービンである。
M1カービンは将校が使用するピストルに代わる火器として要求された火器であった。セルフローディング式で脱着式の20発箱形弾倉を持つM1カービンは将校以外でもストックを折り畳み可能にして空挺部隊が使用した他、直接銃撃戦闘に参加しない砲兵部隊などに使用された。しかしカービン用に設計された.30弾はM1ガーランド用のM2弾(30-06)と比較して殺傷力が低く、遠距離での射撃戦能力は皆無であった事から、広く使用する歩兵用ライフルとしてはその有効性が見出せなかった。一方で東南アジアで日本軍と戦闘をしていた太平洋戦線のアメリカ軍レンジャー部隊やイギリス軍コマンドでは軽く掃射性能の高いM1カービンとフルオート射撃の可能なM2カービンが近接戦が主体のジャングルでは大きな優位性を確保している事を認識した。しかしこの優位性は局地的なものと判断され小型、軽量、小口径のM1カービン発展の可能性は消えてしまう。
一方のドイツ軍では1941年のパラシュート部隊によるクレタ島降下占領作戦に失敗しその作戦で投入したボルトアクションライフルKar98kがヘビーマシンガンなどの固定火器を持つ拠点に対する攻撃には不適当であるという判断を下した。
落下傘部隊は重武装ができず歩兵主体で構成される為、大規模な火力を持たない事からこれら個々の火力の増強が第一と考えた。当時ドイツ軍が使用していた7.92mm弾を使用しフルオート射撃も可能な軽量ライフルはクリーグホフ、ラインメタル、モーゼル社にそれぞれ試作され最終的にラインメタル社のライフルがFG42(Fallschirmjager Gewehr 42)として採用された。FG42はスプリング内蔵の20連装箱形弾倉を水平方向に装着しフルオート射撃の衝撃を抑えるためにマズルブレーキが装備されていた。FG42はその後ムッソリーニ救出作戦を実行したドイツ軍コマンド部隊でも使用されその性能を発揮。
この結果、1930年代から研究が進められてきたマシーネンカラビナー(機関騎兵銃)が脚光を浴び出す。マシーネンカラビナーの開発計画は当初将校や後方部隊向けに考案されていたが、歩兵火器の中心が未だボルトアクションのモーゼルにあった事から前線での使用に耐えうる火器として期待が高まる。マシーネンカラビナーは7.92mm弾を短縮した7.92mmK(クルツ)弾を使用した。これは威力、射程共にフルスケールの7.92mm弾に劣るものの、450m以下の近接戦を中心に開発され、フルスケール弾よりも射撃の安定性は向上し都市攻略戦にも向いていると判断された。1942年までにワルサー社、ハーネル社が提出した試作案を検討した結果、ハーネル社のプランを採用。1943年には武装親衛隊によってMkb42(マシーネンカラビナー42型)がテストされ良好な結果を残した。その後僅かな修正が行われMP43(マシーネンピストール43)となり少量が生産される。同年にはドイツ軍の次世代ライフルとしてセルフローディング式のGew43が完成するが最終的にMP43の大量生産が決定した。MP43は30発の装弾数を持つ箱形弾倉を持ちセミオートとフルオート射撃が可能だった。MP43はその後StG44(Sturm Gewehr 44型)と名称を変更した。Sturm Gewehrとは英語で突撃銃(Assault Rifle)を意味する言葉でこれ以降製作される歩兵用自動火器の総称となっていく。またStG44そのものも第二次世界大戦中から連合軍に捕獲されその後の自動火器開発の切っ掛けとなっていく。
軍用として初めて大量使用された歩兵用セルフローディングライフルM1ガーランド


カラシニコフとNATOライフル(1940〜)

第二次世界大戦の終了は人々が平和と安定を望んだが到来したのは米ソが核を保有し睨み合う東西冷戦の幕開けであった。終戦後、アメリカ軍では小口径弾を用いた歩兵用ライフルの研究に熱心ではなかった。一方でソビエトでは1943年には7.62x54Rを元に短小弾の7.62x39mm弾(M1943)を完成させその弾丸に適した自動ライフルの開発を開始した。その結果シモノフが設計した半自動のSKSライフルが誕生し2年後にはミハエル・カラシニコフの設計したAKが完成する。AKはドイツ軍のMP43や開発途中で終戦を向かえたStG45の設計思想を元に製作されたアサルトライフルで制作者の名をとりアブドマッドカラシニコフ(カラシニコフ突撃銃)と命名された。AKは短小弾による優れたコントロール性と命中精度、十分な威力を持つバランスのとれたライフルでこの後SKSに代わって大量生産される。
AKはその後ソ連や共産国、ライセンス、密造などを含めると8000万挺を超える生産数を誇りMP43によって確立されたアサルトライフルの構想を最初に具現化、成功したライフルと言える。

第一世代アサルトライフルの完成形として普及したカラシニコフライフルシリーズ(AKM)


一方西側諸国でも戦後の新型ライフルの開発が行われるがそれは東側ほど早急ではなかった。戦後の軍縮により朝鮮戦争では従来のM1ガーランドを用いたアメリカ軍では短小弾よりも長射程と破壊力が優先されていた。それでも西側同盟国の新型銃の為にT65(7.62x51mm)弾がNATO弾に決定するとM1ガーランドに代わり1957年にM14ライフルを採用する。M14はM1ガーランドの弾丸をNATO弾仕様に変更し同時にボックスマガジンとフルオート機能を追加したものであった。M14はソ連製のアサルトライフルAK47よりも遙かに長くまたその弾丸はフルオート射撃に適するものでは無かった。利点としてはセミオートでの優れた命中精度と破壊力があげられるが、この能力は近接戦を目的とするアサルトライフルの能力としては必ずしも優先されるものでは無かった。結果的に西側最初のアサルトライフルは弾丸の選択を誤り多くの西側ライフルが翻弄されていく。この間にもベルギーFN社製FALやドイツH&K社製G3などのライフルがNATOライフルとして製作される。両者はいずれもM14よりも優秀なNATOライフルと言えるが、NATO弾の特性を活かした結果重く長い銃となり軽量、小口径のアサルトライフルとは言い難かった。またこの時期の西側のライフルはそのすべてが20連のボックスマガジンを採用している。これはソ連製AKの30発弾倉と比較して持続発射弾数に劣り、掃射力の面でも有利とは言えない。ごく一部に30連弾倉を使用した例もあるが普及はしていない。これは弾丸の重量と銃の重量のバランスの結果生まれたもので、NATO弾がアサルトライフル向きでないもうひとつの理由となった。
NATO弾の更なる小口径化が行われるのは皮肉にも小口径化に最も疑念を持っていたアメリカでの事だった。
M14と同時にテストを受けた7.62mm弾のAR10を小口径化するもので、1957年のアメリカ軍によるサルボ計画に端を発するものであった。この結果アーマライト社と設計者ユージン・ストーナーは5.56x45mm弾を使用するAR15ライフルを完成させる。AR15はプラスチック製のパーツとアルミ合金を使用した軽量ライフルで木材や合板などを一切使用していなかった。この特異なシルエットのライフルはベトナムへ送られ実戦でテストと改良を繰り返した結果M16として制式採用される。ベトナム戦争の激化と共にM16は更なる改良と多くのバリエーションを生み出し以降AKライフルと多くの戦場で戦闘を続けていく。
NATOではこの後5.56x45mm弾もNATO弾としNATOライフルは次々とこの小口径弾に対応したモデルに交換されていく。5.56x45mm弾は接近戦の殺傷力を重視し戦闘想定距離を250-400m程度として考案された。米軍の使用するM193弾丸は短距離での殺傷性と相反し400m以上の距離では風雨や枝、障害物の影響を大きく受けた事からヨーロッパの同盟国ではSS109と呼ばれる重量弾を開発し使用した。
アサルトライフルに代表される歩兵用ライフルはAK、M16の登場によりある程度の完成を見た。またこれ以降は軍の機械化などによりより小型のライフルが好まれる様になっていく。さらに暗視装置の発達、エレクトロニクスの進化により銃器には多くの装備が装着されその性能を向上させていく。銃身や弾薬、弾丸の改良にはじまった銃器の歴史は当初、より確実に、より遠くへを目的に研究が進み、金属製のカートリッジと無煙火薬の発明により飛躍的にその構造を進化させた。しかし今日でもその信頼性と破壊力、射程距離など多くの相反する要素の妥協点を探りもっとも信頼性のある妥協点を模索する研究は続けられている。
M14から得た教訓を生かし西側で初めて小口径弾を使用したアサルトライフルとして製作されたM16


歩兵用火器の主な歴史
事象 使用国
アークウィバス(タッチホール方式) ヨーロッパ 14-15世紀
サーペンタインロックガン(サーペンタインロック式) ヨーロッパ 15世紀
ピストル ヨーロッパ 16-21世紀
マッチロックガン/火縄銃(マッチロック式) ヨーロッパ 16-18世紀
ホイールロックガン(ホイールロック式) ヨーロッパ 16-17世紀
スナップハンスガン ヨーロッパ 16-18世紀
フリントロックガン(フリントロック式) ヨーロッパ 17-19世紀
イギリス軍石弓からライフルへの武器変換を開始   1590年
各火器にライフリングが刻まれる様になる   1650年代
スウェーデン、デンマークでグレネードガン開発   1657年
イギリス人数学者   1742年
インディアン戦争/英仏戦争 アメリカ 1760年代
アメリカ独立戦争でライフリングを持つライフルが普及 アメリカ 1775〜83年
ジョージ・ワシントンの命令でスプリングフィールド工廠設立 アメリカ 1794年
ワーテルローの戦い   1815年
アメリカ人ジョシュア・ショウがパーカッションロックを開発(パーカッション式) アメリカ 1818年
サミュエル・コルトがリボルバーを開発 アメリカ 1836年
クリミア戦争   1853-56年
S&W社から金属薬莢式拳銃 No1 リボルバー発売 アメリカ 1858年
スペンサーライフル(後装式レバーアクション)   1863年
ヘンリーライフル(後装式レバーアクション)  
コルト、リボルバーSAA(シングルアクションアーミー)発売 アメリカ 1872年
マガジン・リー・エンフィールド(MLE) Mk1採用 イギリス 1889年
ロシア軍モシンアガンライフルを採用 ロシア 1891年
ヒューゴ・ボーチャードにより自動拳銃が開発される ドイツ 1893年
ドイツ軍 モーゼル製Gew 98を採用 ドイツ 1898年
米西戦争(アメリカ・スペイン)   1898年
ボーア戦争(イギリス・ボーア)   1899〜02年
アメリカ軍スプリングフィールド工廠製造のM1903ライフルを採用 アメリカ 1903年
日本軍三八式歩兵銃採用 日本 1905年
ショート・マガジン・リー・エンフィールド(SMLE)No1 Mk3採用 イギリス 1907年
第一次世界大戦   1914〜18年
モーゼル式ボルトアクションライフル普及 ドイツ 1914年
ドイツ軍 モーゼル社製Kar 98k採用 ドイツ 1935年
世界初のセルフローディング軍用ライフルM1ガランドがアメリカ軍で採用 アメリカ 1936年
日本軍 九九式短小銃採用 日本 1939年
ドイツ軍ポーランドに侵攻 第二次世界大戦勃発   1939年
アサルトライフルの原型となるMP44がドイツで完成 ドイツ 1944年
ベルリン陥落。ヒトラー総統南極に退避。 日本ポツダム宣言受諾。 終戦   1945年
アサルトライフルAK47完成 ロシア 1947年
西側発の小口径アサルトライフルM16完成 アメリカ 1963年
世界初のブルパップライフルAUG(STG-77)がステアー社で完成。 オーストリア 1977年


19世紀後半から20世紀中期までの主な軍用ライフル


モデル 採用年 全長
(mm)
重量
(g)
口径
(使用弾)
装弾数 製造 備考
US M1855ライフル 1855     ミーニエ 1 アメリカ  
ドライゼライフル 1862 1365 5000 15mm 1 ドイツ ニードル弾を使用したライフル
シャスポーM1866 1866 1300 4000 11mm 1 フランス  
モーゼル1871 1871 1345 4500 11mm 1 ドイツ  
グラス MLE1874 1874     11mm 1 フランス シャスポーの改良型
金属カート仕様
レベルM1886 1886     8mm 8 フランス 世界初の無煙火薬
金属薬莢仕様。連発銃の先駆け。
MLE Mk1
(エンフィールド)
1889 1266 4730 7.7X56mmR 8 イギリス   
クラックヨルゲンセン 1889 1328 4300 8x58mmR 5 デンマーク  
モシンナガン1891 1891 1303 4300 7.62x54R 5 ロシア  
モーゼル Gew 98 1898 1250 4000 7.92x57mm 5 ドイツ ボルトアクションの完成系以降同ライフルが各国の設計ベースになる
カルカノ1938 1938 1020 3400 7.35x51mm 6 イタリア  
US M1903 1903 1097 4000 30-06
(7.62x63)
5 アメリカ  
38式歩兵銃 1905 1280 4000 6.5x50mm 5 日本  
SMLE No1 Mk III
(エンフィールド)
1907 1130 4000 7.7X56mmR 10 イギリス  
Kar98k 1935 1105 4000 7.92x57mm 5 ドイツ  
MLE1936 1936 1020 3750 7.5x54mm 5 フランス  
US M1ガーランド  1936 1100 4300 30-06
(7.62x63)
8 アメリカ 軍用初のセルフローディングライフル
シモノフSVS 1936 1235 4000 7.62x54R 10 ロシア  
99式歩兵銃 1939 1118 3800 7.7mm 5 日本  
M1カービン 1941 903 2500 .30カービン 20 アメリカ  
FG42 1942 975 5000 7.92x57mm 20 ドイツ  
StG44 1943 940 5200 7.92x33mm
クルツ
30 ドイツ アサルトライフルの基礎となったライフル
SKSライフル 1945 1020 3800 7.62x39mm 10 ロシア  
AKライフル1947 1947 870 4300 7.62x39mm 30 ロシア アサルトライフルの完成系
US M14 1957 1125 4600 7.62x51mm 20 アメリカ アメリカ軍初の
フルオートライフル
M16A1 1967 990 2800 5.56x45mm 20/30 アメリカ 西側初の小口径アサルトライフル
AK74 1974 940 3400 5.45x39.5mm 30 ロシア