FN BROWNING
M1935 GP:Grande Puissance
"HIGH POWER" |
 |
GP35:HIGH POWER
20世紀を代表する天才ガンデザイナー、ジョン・M・ブローニングの遺作となったこの傑作銃は、現代軍用オートマチックの基礎を築きあげた。ブローニングはライフル、ショットガン、セルフローディングピストル、マシンガンなど多くの銃器を設計し、その全てに画期的なアイディアを盛り込んでいた。
1925年に設計されたセルフローディングピストルはFN社で製造の準備を行っていたが、1926年にFN社を訪れたジョン・M・ブローニングが心不全で死去すると、この設計をFN社のデザイナー、デュードンヌ・J・セヴらが引き継ぎ完成させた。軍用弾で高威力の9x19mm弾を13発発射可能なこのピストルは1935年に完成し、その装弾数がもたらす火力をイメージしてGP35:Grande
Puissance35と呼称された。Grande Puissanceはフランス語であり、英名はHigh Power(ハイパワー)となり、英語圏では主にこのブローニングピストルをハイパワーと呼称した。
ハイパワーは9x19mm弾を使用するシングルアクション、ショートリコイル方式のセルフローディングピストルで最大の特徴はダブルカラアムマガジンを初めて実用化し、採用している点である。ダブルカラアム機構は従来のシングルカラアムマガジンよりも多くの弾薬を収納する事が可能になっている。ハイパワーは1911年にアメリカ軍に採用されたブローニング設計のM1911よりも6発も多い13発の装弾数を持ち、9x19mm弾を使用する事で45ACPを使用するM1911よりも遥に撃ちやすく命中精度が高かった。
軍用銃としても威力、携行性、コスト共に優れ、堅牢でどんな環境でも確実に作動した。製造開始後すぐにベルギー、ルーマニア、リトアニア、デンマークで採用され、第二次世界大戦中のヨーロッパ戦線に於いては連合軍の他、敵対国であるドイツ軍にもP620(b)として使用され、その生産数は数百万丁と言われている。戦時中はドイツ軍にベルギーが占領された為、FN社の技術者達はカナダに逃れハイパワーの生産を継続した。また中国でもライセンス生産が行われ、国民軍でも使用された。
第二次世界大戦後も僅かな改良のみで世界の軍隊、警察が使用しており、英国ではL9A1として制式採用され、対テロ部隊SASでも1990年代後半まで使用が続いた。ハイパワーは世界93ヵ国で採用され、ルガーが開発した9x19mmパラベラム弾を一気に軍用セルフローディングピストルの最もメジャーな弾薬へと押し上げた。バリエーションモデルとしてはミリタリー向けのタンジェントサイト装備モデルが存在し、各国のライセンスモデルは細部で仕様が異なる為無数に存在する。タンジェントリアサイトモデルにはホルスター兼用のストックが装備され100メートル前後の遠距離射撃も可能にしている。近代改修モデルとしてはマーク2、マーク3、ダブルアクション作動のハイパワーDAシリーズ、精密射撃用モデルなどが製造されている。
|
Fabrique Nationale社
Fabrique Nationale d'Armes de Guerre de Herstal'
FN社はベルギーのリエージュで1889年に創設された国営の兵器製造工場をその起源としている。当時のベルギー軍はドイツ、モーゼル社のボルトアクションライフルを制式採用する為に、国内で製造可能な大規模施設を必要としていた。そこでリエージュ一帯で古くから盛んであった銃器製造を生業とする職人達が出資を行い、リエージュ近郊の町エルスタルにエルスタル国営兵器製造所(Fabrique
Nationale d'Armes de Guerre de Herstal')を設立させた。ヨーロッパの小国であるベルギーのFN社が成功を果たす切っ掛けは天才ガンデザイナーとして知られるジョン・M・ブローニングとの出会いが大きい。当時のブローニングはガス圧利用方式のマシンガンやセルフローディング方式のピストルを次々と制作し大手の銃器メーカーにその設計と販売権利を販売する事業を行っていた。
FN社はブローニングが制作した32口径のセルフローディングピストル(後のM1900)に興味を持ち、これをヨーロッパで販売する為の権利を獲得した。これ以降、ブローニングが死去する1926年までの間に数多くの傑作銃器がブローニングの手によって設計され、FN社で販売されていく。セルフローディングピストルではポケットモデルのM1906、歴史的な販売数を誇るM1910、そしてコンバットオートの基礎を作り上げ今もなお世界最高峰のコンバットピストルとして評価されているM1935ハイパワーが生み出された。またマシンガン、ライフルの分野でもセルフローディング式のショットガンを始め、50口径マシンガンM1やM2、狩猟用の上下2連ショットガンなどを生み出した。これらの火器の中には現在もほぼ形を変えずに生産され、世界の軍隊や射撃愛好家に使用されているものも多い。
第二次世界大戦中、ドイツ軍の侵攻を受けたベルギーでは各地の工場が接収され、FN社の工場でもドイツ軍の為の兵器製造が実施され、戦後までに工場は戦火に曝される。一部の技師達はカナダに逃れブローニングハイパワーなどの火器を製造したが、戦後は帰国しFN社を再建、1949年には戦後最初のFN社製火器SAFN-49セミオートマチックライフルを完成させた。
第二次世界大戦以降のFN社は堅牢で信頼性の高い火器を次々と生み出していく。FN社の戦後最初の成功は新NATO弾の制定に伴い開発されたアサルトライフルFALであった。アサルトライフルとは第二次世界大戦中にドイツ軍が使用したMP44を基礎とする新世代の歩兵用小銃のコンセプトであり、当時各国の軍隊と銃器メーカーではアサルトライフルの開発を積極的に行っており、FN社でもイギリスのエンフィールド王立小火器工廠と連携し新型アサルトライフルの開発を行った。試作ライフルは7x43mm弾をベースにした軽量ライフルであったが、1949年のNATO設立による弾薬、装備の共通化が目標となると、アメリカの試作したT65弾薬が7.62x51mm弾として制式採用され、FN社でも試作ライフルの口径を変更した。こうして完成したのがFAL(Fusil
Automatique Leger=軽量自動小銃)であった。FALは旧来の技術を使用した堅牢なライフルであったが、当初予定していた小口径弾を使用できず、フルロード弾の7.62x51mm弾仕様となった事で銃全体が大型化し、フルオートマチック機能も現実的な命中精度を持っていなかった。この為英国を始めオーストラリア、カナダなどではフルオート機能を持たないFALが制式採用され、標準モデルのFALを採用した国家でもフルオート射撃は使用される機会が少なかった。しかしFALは堅牢な設計と優れた命中精度とコストパフォーマンスでFN社に空前の成功をもたらし、採用国は本国ベルギーを始めイギリス、カナダー、オーストラリア、イスラエル、ブラジル、アルゼンチン、オーストリア、南アフリカ、サウジアラビア、ポルトガル、キューバ他世界90ヵ国に及び、現在も多くの国で使用されている。また各地のゲリラやテロリストにも入手されあらゆる戦場でカラシニコフと並び目にする事ができる。
またFN社では同時期に開発したガスオペレーションマシンガンFN MAG(MAG-58)でも同じように成功を収めた。MAGはドイツのMG34やMG42に倣って制作された汎用マシンガン(GPMG)で歩兵の支援から車載機銃、重機関銃などの目的に使用できる優れたマシンガンであった。同時代を代表するマシンガンで米国製のM60よりも信頼性に優れており、東側を代表する汎用マシンガンPK/PKMと共に世界の戦場で目にする事ができる。FN社の製品はどれもシンプルかつ堅牢な機構で、絶対の信頼性を持つ事が特徴であり、軍用銃としての必要能力を堅実に持ち合わせていた。これらFN製品は50年代から90年代にかけてのFN社の繁栄を支えている。
順風に見えたFN社に陰りが見え始めるのは1960年代以降に始まった小口径アサルトライフルの開発からであった。ベトナム戦争を戦っていたアメリカ軍では7.62x51mm弾を使用するM14がジャングルでの戦闘に著しく不利となる事から新型ライフルM16を採用。これを機に西側では5.56x45mm弾を標準規格とするアサルトライフルの開発が始まるが、FN社ではFALの小口径モデルCALを開発したものの、市場ではまったく奮わず、1979年にはその後継モデルFNCを制作したが、本国のベルギー軍など一部が採用したのみであった。不幸な事にFNCが量産された1979年には既に多くの国家がM16や自国生産の小口径ライフルを採用しており、FN社はこの分野で完全に敗北する事となった。1980年代唯一の成功作はM16と共にアメリカ軍の分隊支援火器として開発された5.56x45mmのマシンガンMINIMIで、こちらはMAGと同様に多くの国家で採用されている。
FN社は小口径ライフルでの失敗を挽回すべく、1980年代以降野心的な製品開発を実施する。M2の後継モデルとして開発した15.5mmマシンガンのBRG15、さらにはライフル弾と同じボトルネックカートリッジを使用する高速ピストル弾P90個人防衛兵器である。しかしいずれの火器も成功に至らず、BRG15は早急に姿を消し、P90もサバイバルウエポンとして大量販売される事は無かった。これらの失敗は共に自社で開発した新型弾薬を使用する事が大きな原因の一つになっている。多くの軍隊では、弾薬の在庫を膨大に抱えている為、火器の口径変更には多大な時間と費用を必要とする。冷戦下の1980年代から90寝代初頭にはわざわざそれらのリスクを背負ってまでこれら製品を必要とする組織が存在しなかったのだ。
FN社は1986年にアメリカのブローニングを買収、1989年にはブローニング社がリピーティングファイヤーアームズ社(ウインチェスター社)を買収し、ヨーロッパでのウインチェスターライフルの販売などを実施したが、負債は増大し経営が悪化。1991年にはフランスの総合軍事企業GIAT社に買収され、その傘下に収まる事となった。
この結果、FN社は保有する小火器メーカー、会社組織の再編を実施。ヨーロッパでの販売をFNエルスタル社が行い、アメリカでの販売をFNマニュファクチャリングUSA社、ブローニング社、リピーティングファイヤーアームズ社が実施する事になった。
その後、軍・警察用小火器部門を担当するFNエルスタル社では90年代後半にP90で使用した5.7m弾の普及を行う為に、ポリマーフレームのFNファイブセブンを発売した。またグレネードランチャーとアサルトライフルを組み合わせた複合火器F2000OICWなどを開発し復権を狙っている。
2000年9月11日に発生した同時多発テロにより開始されたアメリカ軍を中心とする対テロ戦争はFN社にも少なからず恩恵を与え、アメリカ軍の要求する新型カービンの開発に乗りだしている。FN社はHK社と競合し自社設計の5.56x45mmカービンSCARを開発。その一部がアメリカ軍特殊部隊を中心にイラクやアフガニスタンでテストされている。SCARはFAL同様堅牢でありながら、革新的なテクノロジーと最新光学装備を組み合わせる事で優れた夜間戦闘能力、火力を持つ多目的カービンで米軍の使用するM4カービンと同様に豊富なオプションが使用可能になっている。SCARのテスト結果は良好でFN社では21世紀の最初の成功の足がかりを掴みかけている。
|
 |
ブローニング社とジョン・M・ブローニング
ジョン・モーセス・ブローニング(John Moses Browning)はユタ州オグデンで1855年に誕生した。彼の父ジョナサン・ブローニングは既に銃製造に携わっており、1852年には自身の銃器会社を起業。ジョン・ブローニングは幼い頃から銃の仕組みや製法について学んでいくことになる。彼は生涯に多くの銃器に関わる特許を獲得し、その数は128件に及ぶ。ブローニングの最初の発明は1979年、24歳の時で、単発式レバーアクションライフルに関するものであった。同年には彼の父が死去しブローニングとその兄弟達は父の残した銃器店を引き継ぎ経営を開始した。ブローニングの開発したライフルはその後ウインチェスター社がそのパテントと在庫のライフルを買い取る形で契約が行われ、彼らは大金を手にする。なお、このライフルはウインチェスター社でM1885として販売される。この成功によりジョンとその兄弟はブローニング兄弟商会を設立し、ジョンが銃器の設計を次男のマシューが経理を担当し残りの兄弟達で銃器の製造と修理などを行う事となった。また同社はこれを機に釣り具などの販売も開始した。この多角経営は現在のブローニング社でも継続されており、ハンティンググッズ、ナイフ、アパレルなどの製造、販売を行っている。
ウインチェスター社とブローニング社の関係はその後も暫く続き、ジョンはその後もレバーアクションショットガンM1887やハンマー露出式のポンプアクションショットガンM1893、M1897を開発する。M1897ショットガンはその後トーマス・C・ジョンソンによってM1912ショットガンとなりトレンチガンとして知られるベストセラーショットガンとなる。
ブローニングは更にウインチェスターレバーアクションライフルの最高傑作とされるM93を設計。M93はM73の近代化モデルで100万丁を販売。ジョン・ブローニングはこれを僅か30日で設計している。この頃彼の開発の関心はセルフローディングピストルやマシンガンなどの自動装填に及んでいた。彼は銃口から発生する発射ガスを利用する事を思いつき、連続発射を行う為の弾薬装填方法として布製のベルトに弾薬を固定して給弾する方式を考案した。布製の弾薬リンクはその後金属に変更されメタルリンクとガスオペレーテッド方式を持つ近代マシンガンの基礎を作り上げた。このマシンガンモデル1892の製造権はコルト社に売却され、コルト社ではこれをM1895マシンガンとして製造。アメリカ海軍はM1895マシンガンを口径6mmLEE仕様で制式採用し米西戦争に投入された。ガスオペレーションのマシンガンはガトリング砲など従来の多弾発射銃器を一掃するに十分な構造と運用性能を持っており、第一次世界大戦ではブローニングの考案したガスオペレーションを持つマシンガンが各国で制作された。一方でセルフローディングピストルでもショートリコイル方式など数々の新技術を取り入れM1900、M1902、M1903、M1905、M1908などを連続して開発。これらは主にコルト社で販売されアメリカ軍にも試験的に購入されている。そしてこれらの技術と経験を盛り込み、コルト社の傑作モデルM1911を設計する。M1911は45ACPを使用するシングルアクションセルフローディングピストルでM1900からの度重なる改良を行った上で完成され、現在でも改良モデルが多くのメーカーで制作されている。
北米市場ではウインチェスターやコルト社と関係を深めたブローニングであったが、ヨーロッパ市場ではベルギーの国営企業FN社をそのパートナーとしていた。FN社はブローニングが設計したM1900のヨーロッパでの販売権を獲得して以降、爆発的にセールスを伸ばしており、ブローニングはその功績を称えられ、ベルギーのアルベルト国王からレオポルド勲章を授与されている。
1900年にはセルフローディング式の5連装ショットガンを完成させウインチェスター社に売り込みを行うがウインチェスター社はこのショットガンの製造を拒否し、1902年にFN社、1905年にレミントン社と製造販売権を売却した。このショットガンは現在も基本メカニズムをほぼ変えずに製造されている傑作ショットガンとなり、スポーツ射撃愛好家やハンターに向けて300万丁を販売している。1900年代以降のセルフローディングピストル分野では北米市場を相手には主にコルト社、ヨーロッパではFN社をパートナーに設計を行い類似モデルを双方のメーカーが販売している。ライフル、ショットガンの分野ではFN社の他に、レミントン社との関係を築いている。特にFN社との関係が強く、FN社の傑作セルフローディングピストルM1906、M1910の設計を行った。M1910はストレートブローバックのセルフローディングピストルでサラエボ事件でのオーストリア皇太子暗殺に使われたピストルとして知られている。
1907年にはアメリカ軍の軍用マシンガンとして30-06弾を使用するM1917水冷式マシンガンとフルオートマチックライフルBAR(BROWNING
AUTOMATIC RIFLE)を設計。このうちBARはマシンガンとして設計されていたものの、20連装の箱形弾倉を持ち歩兵が持ち歩いて射撃が可能なデザインで現在の分隊支援火器やアサルトライフルに通じる形状と性能を持っていた。これらの製造権はアメリカ軍が購入し第一次世界大戦、第二次世界大戦で使用されている。
1918年にはこれまでのガスオペレーテッド、ベルトリンク方式のより強力なマシンガンとして50口径マシンガンの設計を行い水冷式マシンガンM1とが誕生。M1は30口径のM1917と同様の構造で、後に双方とも空冷方式としM1がM2マシンガンに、M1917はM1919として第二次世界大戦、朝鮮戦争などを戦う事になる。
特にM2マシンガンは航空機や戦車、船舶にも搭載されベトナム、パナマ、湾岸、アフガニスタン、イラクと使用が続き今もなお使用されている傑作機関銃である。
ジョン・M・ブローニングは1926年FN社への出張の際に工場で心不全を起こし71歳で死去した。彼の遺作となったのはシングルアクションのセルフローディングピストルと上下2連式ショットガンでいずれも設計は行ったものの製品を見る事は無かった。特に1925年に設計し、FN社で製品化を待っていたセルフローディングピストルは1935年ブローニングハイパワーとして販売され、現在も世界中で使用される傑作ピストルとなった。ハイパワーは世界初のダブルカラアムマガジンを持ち、13発の9x19mm弾を発射できる事からフランス語でグランピソンズ(英名:ハイパワー)として知られ、確実な作動と安全性を持つ世界最高峰のコンバットピストルとして知られている。
ブローニングの設計した銃器の特徴としてその時代のパイオニア的な発明、デザインを行うだけでなく現在もなお殆ど形状を変えずに使用されているという点が注目できる。 これは非常に優れた設計である事の何よりの証明であり、M1911、ブローニングハイパワー、M2マシンガン、M11セルフローディングショットガンなどが現在でも使用されている代表作である。またブローニング自体は設計者であるだけで実際の権利は各企業にあるにも関わらず、積極的に設計者の名を製品に活用している。この事実を以てしても彼の評価とその火器の信頼性が確固たるものであり、天才ガンデザイナーという形容詞を疑う者はいないと言える。ブローニング社は現在FN社の傘下となって主に北米エリアでのブローニング設計品及びFN社小火器、アウトドアグッズ、スコープ等の販売を行っている。
|
 |
FN BROWNING M1900
ブローニングモデル1900はブローニングNo1ピストルとも呼ばれ1896年にジョンブローニングによって設計された最初のセミオートマチックピストルで1900年にその製造権をベルギーのFN社に提供することで生産が開始された。固定式のバレルにベルギー軍ではMLE1900として制式採用され東南アジアなど多くの国で70万挺以上が使用された。BULLET: 7.62x17mm SR (.32ACP) Weight: 625 g
Length: 172 mm Barrel length: 102 mm Capacity: 7+1 |
FN BROWNING M1903
ブローニングM1903はM1900に続くジョンブローニング設計のオートマチックピストルで上下に分割されたスライドとフレームを持つ現在ではスタンダードなオートマチックのスタイルを持っていた。バレル下部にリコイルスプリングを配置するスタンダードなデザインは後のピストルに多大な影響を与え1930年代まで多くの軍、民間で使用された。多くの国で使用された他コルト社などではコルトM1903としてライセンス生産を行いアメリカ軍でも将校や士官向けに使用された。32ACPと9x20mmSRブローニングロング弾モデルが生産された。 |
FN BROWNING M1910/1922
モデル1910と1922は380ACPと32ACPを使用するシングルアクションオートマチックピストルでバレルを大きく包み込んだ大きなスライドと小さなフレームで構成されている。グリップセーフティを持つM1910シリーズは多くの軍隊で使用された。1922年には大型リアサイトを持つM1922が登場し両銃は第二次世界大戦で多くの国家が使用した。1971年にはアメリカの銃器法が改正されたため若干の修正が施されたが1980年代までは多くの国家がこのピストルを使用した。 |
FN BROWNING BDA 380
ブローニングBDA380は主に民間、警察向けに1980年から生産されたコンパクトダブルアクションピストルでベレッタM84コンパクトピストルと似たデザインを持つ。この銃がイタリアからの下請けで製造された事も大きな要因であった。ベルギー警察に採用されたが1997年に生産を中止した。 |
FN BROWNING BDM
1991年に開発された新型ダブルアクションピストルで独立したデザインを持っている。大型のリアサイトと15発のマガジンキャパシティを持ち左右にセーフティレバーが配置されている。1990年代に生産された最も高性能なコンバットピストルであるがマーケットではSIGやベレッタなどに押されている。
Type: Double Action or Double Action Only manually
selectiveBullet: 9x19mm Luger / Parabellum Weight unloaded:
870 g Length:Barrel length: 120 mm Capacity: 15+1 |
| [GUN'S DATA] |
| ■MODEL |
M1935 HIGH POWER |
|
| ■MANUFACTURER |
FABRIQUE NATIONAL/BELGIUM |
|
| ■OVER ALL LENGTH |
197mm |
|
| ■BARREL LENGTH |
120mm |
|
| ■RIFLING |
6 GROOVES RH |
|
| ■WEIGHT |
1000g |
|
| ■CARTRIDGE |
9x19mm |
|
| ■FIRING SYSTEM |
SINGLE ACTION |
|
| ■FIRING MODE |
SEMI AUTO |
|
| ■MUZZLE VELOCITY |
350m/s |
|
| ■CYCLIC RATE |
---rds/min |
|
| ■MAGAZINE CAPACITY |
13 ROUND BOX |
|
|
|
|