INDIVIDUAL EQUIPMENT

UNIFORM COMPOSITIONS
FOOT WEAR

PROTECTIVEGEAR
ARMOR/HELMET

BACKPACK/RUCKSACK

LAND WARFARE I
LOAD BEARING GEAR

LAND WARFARE II
TACTICAL VEST

AIR BONE/AIR ASSAULT
AIR CREW GEAR

WATER BONE
UNDER WATER GEAR

CLOSED
QUARTER BATTLE

FIELD GEAR
アメリカ軍個人装備の発展
■近世以前の歩兵装備
遙か昔から、歩兵にとって個人装備というのは携行する武器と同じくらい重要である。実際に戦争が始まり戦地に赴いても、水を運ぶ水筒や、食料を食べるための道具がなければ戦争は継続できない。また、塹壕を掘るためにはスコップがいるし、弓矢や砲弾から身を守るには、ヘルメットや鎧が必要になる。その他にも多くの荷物が必要で、それを運搬するには、背嚢が必要になってくる。これらの装備品がいつ頃使われだしたかは不明であるが、武器や戦術の変化と共に、装備もその姿を変えてきた。 まだ火薬の無かった中世ヨーロッパ等では銃の代わりに剣と弓、槍が戦闘の主役であり、それらの攻撃から体を守るのには鎧が必要だった。戦闘事態も短期間で、相手が見えているのに、睨み合うだけという光景もしばしばであった。鎧は音を立てるので防音効果を兼ねて鎧の上から着るサーコートなどが開発された。夜露を凌ぐマントは、現在でもポンチョに姿を変えて使われている。やがて火薬が開発されると、17世紀頃から銃が戦場の主役に変わっていく。初期の頃は連射も利かず弓よりも精度、飛距離が落ちることから、兵器の一種に過ぎなかった銃だが、圧倒的な貫通力を誇る銃弾の前には騎兵が着る鉄の鎧がまったくの無力となり、銃の改良が進むにつれて次第に接近専用の武器は失われていった。これ以降の戦争では銃を中心とした機動性を重視した形になる。鉄砲の出現は、戦争のシステムを根本から変え、接近戦主体の戦争から遠距離戦へと姿を変えた。これにより銃器や大砲が戦場の主役となり、戦闘による死者もその破壊力、殺傷力に比例して飛躍的に増大することになる。これは同時に歩兵装備にも変化を及ぼし、大きく重い鉄の剣は姿を消し、近接時の護身用にはナイフなどが用いられた。戦闘も遙かに長期化するようになったため、歩兵用の背嚢が大型化されていくのもこの時期である。1800年代に入り、薬莢式の銃が出現すると、旧世代の武器は完全に姿を消す。もはや戦闘射程距離、銃の破壊力の観点から槍を持っての突撃はただの自殺行為でしかなくなっていた。このころより歩兵は現在のような銃中心の歩兵装備に変化していく。一部の特別な部隊が銃を携行するのではなく、歩兵であれば誰でも銃を使う。それが当たり前の時代になっていった。それにより弾薬を携帯する弾帯(ピストルベルト)が開発された。さらに、射撃戦闘では従来のような鎧に代わって身を守る手段を考えなければならなかった。その一つが塹壕の構築で、構築にはスコップが用いられた。このころの戦争のスタイルである「双方の築いた塹壕を奪い合う」というもは長期戦になることが多く、開けた大地で真っ向から撃ち合うというものが一般的であった。双方の部隊は同じタイミングで休息にはいるため、食事なども比較的落ち着 いて摂れる事から、個人装備の携行性は向上しなかった。
■現代の歩兵装備
世界では第一次世界大戦を迎え、歩兵装備はさらに進化していくことになる。アメリカではM1910装備を中心とした、歩兵装備が開発された。これらは現代戦に必要な歩兵用個人装備をほぼ揃えており、現代戦闘装備の最初のモデルと考えても良いだろう。第二次世界大戦になるとアメリカ軍はM1910個人装備を中心に装備を追加進化させ、相次いでマイナーチェンジを敢行した。色を今までのカーキ(明黄色)からオリーブドラブ(軍緑色)に変更されていき、朝鮮戦争ではほぼ緑一色の歩兵が戦闘をした。第二次世界大戦期にはドイツ軍が世界初の迷彩戦闘服を開発したが、このころの米軍は海兵隊のダックハンターパターンを除き使用、採用はされなかった。規律と統制の美を重んじる軍隊にとって迷彩服という統一感のない物体は当然首脳部には受け入れられなかったのだろう。朝鮮戦争後アメリカ陸軍は軍用銃のスタンダードとなる箱形弾倉のライフルM14を採用しそれに伴いM14ライフルに対応した「M1956LCE」歩兵装備を開発。これが現代アメリカ軍の歩兵装備の中核になっていく。この傑作個人装備は今までのアメリカ軍のM1910個人装備を初めとする歩兵装備の流れを踏襲しつつも、スライド金具による自由かつ堅牢な配置を可能にし(但し一般部隊では装着位置は決められていた。)兵員は装備を自由に組み替えることが可能になった。またアメリカ海兵隊はやや遅れながらも陸軍とは異なるM1961個人装備を採用した。ヴェトナム戦争が始まり本格的なジャングル戦が始ま るにつれ、平原での戦いを想定されたこれらの装備は、特殊部隊隊員などによって改良を加えられより軽く、頑強になり、機能性も追求されていった。その後1967年には「M1967MLCE」個人装備を開発。基本構成は変わらないものの、材質をナイロンに変更した。また同戦争では多くの装備が試作され、現代装備の基礎を作り上げた。1974年には現在もアメリカ軍で使用されているALICE装備を採用。人間工学に基づいた合理的な設計により、大幅に機能性が向上している。このころからNBC(核・生物・化学)兵器の使用なども考慮したガスマスク、ケミカルスーツなども支給が始まり、戦場の新たな脅威に対する備えが必要になってきた。70年代後半から80年代になると、デュポン社が開発したケプラー繊維などにより防弾ベスト、ヘルメットなどが飛躍的に進歩し、素材には金属板の代わりにケプラー繊維、セラミックなどが使用された。軽量化されたそれらの装備は、歩兵に負担無く運用させる事が可能で、すぐに全軍に支給される。1988年になるとこれまでのサスペンダー、ベルトで構成される個人装備と違うまったく新しい歩兵装備構想「IIFS」装備の支給が始まった。これは歩兵が各銃器や弾薬、携帯品などをバランスよく配分することによって歩兵の負担を減らすと共に、全天候戦闘を容易にするセパレート式 のポンチョや防弾ベストと組み合わせることが可能なTLBV(タクティカルロードベアリングベスト)などが採用された。これらの装備は必ずしもこれからの戦争が歩兵を中心に進むと考えた物では無いが、機械化歩兵を中心に編成される現代アメリカ軍では、生存性を重視した設計を第一にしている。また、21世紀には、歩兵の統合運用システム「フォース21」がテストされることになり、個人装備は更なる発展を遂げることになる。
■アメリカ軍特殊部隊の最新装備
ヴェトナム戦争に於いてアメリカ軍は様々な装備を試作、運用したがそれらは主に特殊部隊隊員個人のアイデアによるところが多かった。彼らはその任務の特殊性から一般部隊と異なる装備、を必要とした。少人数で運用される特殊部隊は、弾薬を多く必要とし、それに伴う大容量弾薬ポーチを必要とした。更に機動性を活かすためにより効率的な装備の運用法も検討された。但しヴェトナム戦争に於いての特殊装備は、いくつかの例外を除き正式採用はされず、各部隊は個人、部隊規模で製作又は購入をしていた。迷彩服なども独自の物が使用された。これらは、特殊部隊に対し軍上層部が与えた特権でもあったが、同時に越境作戦などの際に正規兵と判断されないための効果もあった。しかし、ヴェトナム戦争期の特殊部隊はあくまで正規支給品に対し同じ装備を追加、増設するような程度で彼らを真に満足される装備は少なかった。ヴェトナム戦争以降アメリカ軍の各特殊部隊は独自に装備を設計していくことになるが、一般部隊の装備の域を越える様な画期的な装備はあまり無かった。しかし80年代に入り特殊部隊の対テロ部隊としての運用や、より高度な作戦への投入はそれまでの装備の考えを一蹴した。特にテロに対 する部隊は、突入の際に0.1秒単位のスピードと正確性を要求される。銃を素早く構えるためのスリング、マガジンをより多く効率的に運用する為のベスト、ハンドガンを保持するためのレッグホルスターなどが代表的なアイテムだ。任務の作戦日数によって弾薬携行数やバックパックの大きさなどは様々に変化させなければならない。数人のテロリスト相手に20本の弾倉は必要ないが逆に10日以上のパトロールには、大型のバックパックが必要である。また水中、海上からの進入を得意とするSEALSなどは、昔から使用しているフローティングシステムを装備自体に組み込む事を望んだ。これらの装備は、部隊と作戦の数だけ必要であり、現在の特殊部隊は当然多くのベストやハーネスを装備している。
■当ページのデータの内容は2000年頃までのデータを参考にしています
■写真の装備等は可能な限り再現しようとしていますが、入手できていない物については代用品を使用しています。代用品の記述等はしていませんのであらかじめご了承下さい。
■写真の装備を真似したりデータを参考にしたりするのは構いませんが使っていないものやこちらの想像で製作している物もありますのであらかじめご了承下さい。
■その他INFORMATIONの内容に準拠します。