コンゴ(ザイール)内戦
戦争(紛争)名 コンゴ内戦
戦争期間 1996年〜
戦争地域 コンゴ
戦争の結果 暫定政権の樹立、継続中
死者数 500万人以上。現在も増加中。

国名 コンゴ民主共和国
首都 キンシャサ
人口 6600万人(2008年)
公用語 フランス語
スワヒリ語他
宗教 キリスト教80%
イスラム教20%
民族 コンゴ人、ルバ人、モンゴ人
主要産業 鉱業(銅、コバルト、ダイヤモンド、金、銀
ウラン、マンガン、その他レアアース、原油
備考 旧フランス植民地。

第一次コンゴ戦争交戦勢力
モブツ政権(政府軍) ←敵対→ AFDL
ルワンダ
ブルンジ
ウガンダ

第二次コンゴ戦争交戦勢力
カビラ政権(政府軍) ←敵対→ コンゴ民主連合 RCD
ジンバブエ コンゴ解放運動 MLC
ナミビア コンゴ民主連合解放運動
RCD-ML(RCDから分離)
アンゴラ ウガンダ
ルワンダ

2003年〜
コンゴ暫定政権 ←敵対→ CNDP
FDLR ルワンダ

2009年〜
コンゴ政府軍 ←敵対→ FDLR
ルワンダ政府軍
CNDP(政党化)


傭兵の戦争・ワイルドギース
1960年代以降次々と独立を開始したアフリカ大陸の植民地は宗主国の資源確保の思惑や社会主義の浸透を目指すソビエト、キューバなどの直接的な軍事支援も伴って混迷を深めていく。主な対立図式は民族対立、宗教、資源闘争であるが、その中でも旧宗主国側に立った政権や反政府組織の軍隊の多くに存在していたのが傭兵である。傭兵は宗主国と密接に関わっている元軍人もいれば金銭を目的に加わる軍隊経験者もいた。彼らは民間軍事会社などを組織し、航空機や艦船も扱う高度な軍事組織を形成し、アフリカの内戦では必ずといって良いほど登場する。
 1960年代のアフリカ情勢は独立はしても国防能力に乏しく、治安維持のノウハウも無い為、他国や反政府組織等への効果的な打撃を与えるため、自軍の兵士を訓練、教育する為にも傭兵の技術と知識は不可欠であった。
 中でも伝説の傭兵として知られるマイク・ホアーは1961年から1981年の間にコンゴを中心に傭兵として活動した。ホアーはインド生まれのアイルランド人で元イギリス軍人。第二世界大戦中はビルマ戦線で日本軍を相手に戦い、退役後南アフリカに移住。
 1961年のコンゴ動乱では白人傭兵企業インターナショナル・カンパニーを設立。第二次コンゴ動乱では第5コマンド部隊通称ワイルドギースを率いて活躍した。ワイルドギース(Wild Geese)は16世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパ大陸で活動した傭兵部隊で、アイルランド系のホアーは自分の部隊にこの名を与えた。同部隊の隊員の中にはアフリカで政治的にも太いパイプを持つようになった者が多く、中にはクーデターに荷担し成功させた者もいる。
ホァーは1981年のセーシェル共和国内のクーデターに参加するが失敗。脱出時に民間航空機を強奪したためハイジャック容疑と反傭兵法違反で10年の刑を受け1988年に釈放された。1978年には自らをモデルにした映画「ワイルドギース」の監修なども行っている。
コンゴ共和国はザイールとして建国された中央アフリカの大国で人口5000万人。多民族国家で大半がキリスト教(カトリック)信者。14世紀にバンツー系民族で構成されるコンゴ王国が作られたが20世紀には植民地化され広大な領土は分割。現在のザイール(コンゴ民主共和国)、ガボン、コンゴ共和国、アンゴラの4国に分断された。公用語はフランス語で1908年からベルギー植民地となる。

コンゴ動乱(1960-1965年)
 1960年にザイール(現コンゴ民主共和国)が独立した際には、宗主国であったベルギーがカタンガ州の分離独立を画策し白人保護を名目にベルギー軍を派遣。
豊富な鉱物資源を有するカタンガ州のルバ族は内戦開始後に分離独立運動を始めこの資源に目を付けたベルギーがルバ族を支援。ザイール(コンゴ)のカサブブ大統領はこれを鎮圧にかかるが首相のムルンバが離反し独自に鎮圧を開始。戦闘は激化。コンゴ動乱が発生した。
これに対しソ連、キューバが抵抗部族をまとめあげ軍事援助を開始。チェ・ゲバラ率いるゲリラ部隊も派遣された。同年7月11日にはベルギーがカンダカ州の独立を宣言するも最終的にはこれを撤回し、1963年には一応の収束となった。1965年にアメリカ合衆国が支援したモブツ・セセ・セコの独裁政権が誕生するまでは不安定な状態が続いた。

コンゴ内戦
 この後32年間に渡りモブツ政権が維持されるが、冷戦終結によりアメリカの支援が無くなると政権基盤が弱体化。長期独裁を狙うモブツ大統領が憲法を無視して辞任を拒否し三選を画策。議会は1996年4月に東部のツチ族系ムレンゲ人の追放を決議し政府軍が攻撃を開始した。
これに対しバニィヤムレンゲ等の武装組織がルワンダ、ブルンジ、ウガンダなどの支援を受け反撃を開始。第一次コンゴ戦争が開始された。1997年5月にはこれら勢力の連合体であるAFDL(コンゴ・ザイール解放民主勢力連合)が首都キンシャサを制圧。モブツ政権が倒され、モブツ大統領はモロッコに亡命。しかし9月には病死している。この後AFDL議長のローラン・カビラが大統領に就任すると国名をザイールからコンゴ民主共和国に改名した。
 国家再建が開始されるかと思われたが、カビラ大統領はツチ系が政権を握るルワンダなどの影響力が強まることを恐れ、政権や軍部からツチ系の排除を始めた。
 これにより1998年8月に東部を中心として第二次コンゴ戦争が勃発。過去にモブツ政権打倒のために組織された反政府勢力「コンゴ・ザイール開放民主勢力連合(ADFL)」の主力であったツチ族のバニャムレンゲ族グループが同じツチ族政権の隣国ルワンダの支援の元、東部で大攻勢に出たのである。
 この内戦にアンゴラ、ザンビアなどの周辺諸国が介入し、アフリカ史上最大の内戦に発展した。1999年7月には様々な調停工作の末、ルサカ合意が実現。停戦が実現するかに見えたがカビラ大統領が国連軍の大規模な展開を拒否し、停戦は無効化された。
 2001年にはローラン・カビラ大統領が警護兵に暗殺され、息子のジョセフ・カビラが新大統領になるが内戦は継続された。2001年10月15日には反政府勢力の主力3組織であるRCD、MLC、RCD-MLが協議継続の共同声明を出すも不調に終わっている。
事態が動いたのは2002年2月25日。戦争終結を目指す各派の対話が南アフリカのプレトリアで行われプレトリア包括和平合意が成立。2003年7月には合意に基づき暫定政権が樹立した。

 しかし反政府勢力はRCDとMLCのみが参加したに留まり、国内のすべてを掌握できてはいない。戦争状態は依然として継続される。東部地域ではツチ族主体の現政権に追われルワンダ大虐殺の実行者らで構成されたルワンダ民主解放勢力FDLRが勢力を拡大。さらにルワンダ政府のバックアップで2006年に誕生したンクンダ氏率いる人民防衛国民会議CNDPも勢力を拡大し、それに様々な民兵組織が加わる事で複雑な勢力圏を構成するに至った。両陣営は互いに支配地域を有し、金、ダイヤモンド、コルタンなどの埋蔵資源を奪い合い資金を確保している。またこれらの地域では副産物的に殺人やレイプなどが横行した為、国連は2万人を超える最大規模のPKF部隊を派遣し国連コンゴ監視団MONUSCOが住民保護に当たった。また2009年にはコンゴ、ルワンダ両政府が互いが支援する武装組織への支援を中止した。
2009年にはCNDPが和平合意しコンゴ政府内に政党化して組み込まれると残されたFDLRの掃討作戦を両国が共同で行うこととなった。
これにより平和回復への希望が持たれているが依然としてFDLRの完全制圧は達成されておらず、戦争中にルワンダに拘束されたCNDPのンクンダ氏の引き渡しもされていないなど火種は燻ったままである。
さらにコンゴ政府は国連軍の早期撤退を希望しており、仮に撤退が実現すれば内戦が再燃する危険性も持たれている。
同内戦による死者は20万人を超え、この他に内戦に伴う食糧、医薬品不足などから伝染病、飢餓などで500万人以上が死亡した。