エチオピア・エルトリア紛争

戦争(紛争)名 エチオピア・エルトリア紛争
戦争期間 1998年〜
戦争地域 エチオピア・エルトリア
戦争の結果 国境紛争の継続中
死者数 不明

国名 エチオピア連邦民主共和国
首都 アディスアベバ
人口 8200万人(2008年)
公用語 アムハラ語
宗教 エチオピア正教50%
イスラム教30%
民族 オロモ人、アムハラ人、ティグレ人、ソマリ人
主要産業 コーヒー、穀物、畜産
備考 エルトリアの独立により内陸国化

国名 エルトリア
首都 アスマラ
人口 507万人(2008年)
公用語 ティグリニャ語 アラビア語
イタリア語、英語
宗教 イスラム教他
民族 ティグリニャ人、ティグレ人、アファル人他
主要産業 農業、牧畜、運輸業
備考 エチオピアより独立

エチオピア・エルトリア紛争
エチオピア軍 ←敵対→ エルトリア軍

交戦勢力(2000-)
ソマリア暫定政府
(TFG)
←敵対→ イスラム連合(AIAI)
エチオピア イスラム法定議会
(ICU)*既に消滅
アメリカ軍(空爆・海上警備) ソマリア再解放連盟
(ARS)
ARPCT同盟*既に消滅 アル・シャバブ
NATO軍及びNATO同盟軍 アルカイーダ
ケニア軍 ムジャヒディン勢力
エルトリア軍
海賊

敵対

敵対
ソマリランド
プントランド
南西ソマリア(ラハンウェイン革命軍)*既に消滅
ジュバランド軍
マーヒル*既に消滅
ガルムドゥグ
ノースランド国
その他地方氏族

2009年〜(エチオピア軍撤退以降)
ソマリア新暫定政府 ←敵対→ アルシャバブ
エルトリア

 エチオピア・エルトリア紛争はイイグラ三角地帯の領有権をめぐるエチオピアとエルトリア間の領土紛争である。エチオピアは世界の飢餓地帯として知られ、多くの飢餓犠牲者を出している。アムハラ族、オモロ族、ソマリ族ティグレ族などで構成され、エチオピア正教を国境とする。
 エチオピアは第二次世界大戦前後にイタリアに占領された以外は独立を保っており、アフリカで唯一植民地支配を受けていない国家である。
 エチオピアとエルトリアは1世紀頃にアクムスという王国を形成しており1952年両国は連邦国家を形成。しかし1962年にエチオピアに強制併合された。この結果に不満を持ち、独立を目指すエルトリアはエルトリア解放戦線(ELF)を中心に武装闘争を開始。1970年にはELFから分離したエルトリア人民解放戦線(EPLF)が闘争の中心的な役割を担い独立戦争を続ける。エチオピアではこの時期社会主義政権が全土を掌握しており、メンギスツ軍事独裁政権が恐怖政治を敷いていた。これに対してエチオピア国内でもエチオピア人民革命主戦線(EPRDF)が反政府武装闘争を展開。両者は当時の政権を打倒するために共同戦線を張り、メンギスツ政権は1991年に崩壊。
 1993年にはエルトリアで分離独立を決める住民投票が実施され独立を達成した。この一連の30年間に及ぶ武装闘争で20万人以上が犠牲になり80万人が難民として流出した。この結果エチオピアは海岸線を全て失い内陸国となった。またエルトリアはすべての海岸線を保有しエチオピアは港湾施設への利権や使用料の問題といった軋轢を新たに生み出した。

エチオピア・エルトリア国境紛争
エルトリア独立後は両国の関係は友好的になると考えられていたが、1998年帰属が不明であった領土「イイグラ三角地帯」に対して両国の国境紛争が勃発。エルトリア軍は越境しエチオピアのバドメ周辺を占領。戦闘は東部にまで広がり6月には互いの首都への空爆戦に発展した。一般市民を含む無差別攻撃に多くの犠牲が出たため、両国間で空爆は停止されたが1999年には再び戦闘が再開。一時はアフリカ統一機構(OAU)の仲介で停戦が発効されるも2000年2月には再び交戦。5月には停戦協定と係争地の非武装化を拒否したエルトリアに対してエチオピア軍が大攻勢をかけエルトリアは停戦を受け入れることになった。しかし今度はエチオピア軍が停戦を拒否した。この事態に国連、EU、日本政府などが両政府に働きかけエルトリア軍は占領地からの撤退を開始。6月18日には停戦が実現した。
2000年7月31日 国連安全保障理事会が決議1312を採択。これによりPKO部隊「国際連合エチオピア・エルトリア派遣団UNMEEが派遣され、2000年12月 両国間の包括的和平合意が成立した。
しかしこれ以降も紛争は続き、国境委員会により国境案が提出されるとエチオピアとエリトリアの国境付近には国際連合エチオピア・エリトリア派遣団(UNMEE)管理下の暫定安全地帯として幅25kmの緩衝地帯が設置された。この地帯には国連要員を除く全ての人間の立入りが禁止された。ただし、両政府間での合意は得られず、両国間の国境問題に改善は見られなかった。2008年6月にはジブチ・エリトリア間で国境紛争勃発。
2008年には国連機の飛行禁止など、PKO活動への非協力が続きUNMEEは活動を終了している。現在完全な内陸国となっているエチオピアは、エリトリアの港湾の使用を事実上断念し同じく隣国であるジプチの港湾を使用している。

エチオピア軍のソマリア侵攻
エチオピア、エルトリアの国境問題は隣国ソマリアにも波及していく。国連軍撤退後、長く無政府状態が続くソマリアでは暫定政府が弱体化しており、イスラム法廷連合がソマリア各地で攻勢をかけていた。これに対して2006年イスラム勢力の強大化を懸念したアメリカの後押しでエチオピア軍がソマリア侵攻を開始。窮地にあったソマリア暫定政府を支援するという名目での軍事行動を開始した。この侵攻の背景にはエルトリアがイスラム法廷連合を支援しているという指摘があった事が大きな要因とされている。大規模に侵攻したエチオピア軍であったがその後も情勢は好転せず2009年1月には撤退を開始。この直後ソマリアでは新たな暫定政権が誕生した。暫定政府の大統領にはイスラム法廷連合から分裂したイスラム穏健派のアハメド氏が就任したものの急進派の武装組織アルシャバブとの対決という別の対立図式ができただけであった。エルトリアはこのアルシャバブを支援しているとされ、国際社会から批判されている。(ソマリア内戦参照)