エルサルバドル内戦
エルサルバドルは1969年のサッカーワールドカップ予選で試合の判定を切っ掛けにホンジュラスとの「サッカー戦争」を起こしたことで知られる。実際の問題としてはホンジュラス国内に違法居住するエルサルバドル人の問題が根底にあるとされている。中米5ヵ国の中で最も小さな国家であるエルサルバドルは地主が小作人を支配する社会体制で多くが外国、特にホンジュラスへ出稼ぎに出る。しかしサッカー戦争が契機となりホンジュラスはエルサルバドル労働者の受け入れを拒否。国内は混乱に陥りゲリラ活動が頻発する。1979年にニカラグアでサンディニスタ革命」が起こると国内のゲリラ各派も触発され1980年統一ゲリラ組織「ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)を結成。ソ連、ニカラグアの支援の中勢力を拡大。これに対して危機感を覚えたアメリカ政府はエルサルバドル政府に軍事支援を開始。国内は10年に及び内戦状態になる。
1992年に国連の仲介で停戦が発行されるまでに7万5000人が死亡。特に国軍が小作人を対象に行った2度の大虐殺は各メディアに取り上げられ世界中から非難の声があがった。和平後ゲリラ組織は解体され政党となったが国内情勢は依然不安定で1999年に発足したフローレス政権は治安問題の回復を最優先課題としている。。